(190) カメラと歩く [感性とは] 2003/12/24
社会人になり学生時代より多少の金銭的余裕が出来、早々に Nikon New FM2 を買った。宝物は常に身に付けておきたいという思い入れは、毎日の通勤でさえカメラを手放す事はなかった。 持ち歩く理由は他にもあった。運良く映像編集という職を手に入れた私は毎日プロのカメラマンの撮影した映像を選ぶ試練を与えられていた。どれを見ても自分では遠く及ばない素晴らしい映像ばかり、勿論プロのなしえる業である。編集サイドの私ごときが甲乙付けるなど土台無理な話だと思うこともあった...「そのカメラマンはどんな気持ちで現実を切り取ったのか?」知る必要があった。手にはカメラを持っていた。 最寄の駅までは歩くには少し近すぎた。一つ先の駅までを毎日同じルートで通うことにした。雨の日も風の日も徹夜明けも...街並みが表情を変えるたびシャッターチャンスはあった。初めの1ヶ月位は...半年も経過すればファインダーすら覗かない自分に気づいた。毎日の同じ景色の中に何を感じるか?思い出す言葉の中に ”感性” という響きがあった。そしてそれが ”持って生まれた特殊な能力” ではない事にこの時初めて気が付いた。 |
自分を取り巻く環境の全てを ”当たり前”
として捉えてしまったらどんなにつまらないか分からない。技術という言葉にはとかくそういう要素が含まれがちである。 |
もう10年近く前だろうか。兄の車に乗っかり連れてきてもらった桶川スポーツランド。セスナを代表とする小型飛行機が離発着可能である飛行場には以前と変わらない自然が一面に広がっていた。ついこの前のような、それでいて懐かしい風景は、おそらく私も僅かに歳をとったようでちょっぴり寂しい気分になった。
飛行場脇にはカート用と思われるミニサーキットがあり、駐車場に到着した時聞こえていた4輪ジムカーナのそれらスキール音は、我々が自然を堪能しながら目の前に望む頃にはすっかり閉会式を迎えており、結局競技終了後の各自が行うメンテナンス観察となった。まあいい。今日は特に目的があって来た訳ではないのだから夕暮れに栄えるそんな光景が見れたのは返ってラッキーな部類。 実はこの飛行場ではスカイダイビングを体験できるらしい。それを一度やってみたいと思ったのも確かあの頃だったな。 |
(188) 世界的イベント 2003/12/22
近年流行のLEDクリスマスツリーもいたる所で目にするようになったが、こちらはクリスマスツリーならぬクリスマスビル?テレビでは見たことがあっても実際に目にすれば一人身の私でも思いのほか心ほんわかとなるものだ。後続車のクラクションで青信号を確認、慌てて急発進となるのも無理はない。 それにしてもこのビル、忘れ物でもして部屋に入る時は懐中電灯1本かいな? キリストが一体どんな人かも分からないまま世界的にドンチャン騒ぎのイベントで、おまけにプレゼント交換とは景気回復にはメリットかもしれませんな。不意に食べたくなるケーキもなんとなく買いに行き辛い時期... |
(187) GT気分 2003/12/21
前々から探していたウエイトハンディステッカーをようやく入手した。ウエイトハンディとは主にGT選手権などのレースで各クラス決勝上位3チームに義務付けられる重量的ハンディギャップのことで、搭載車は周囲に分かるようサイドウインドゥに重量マークを付けるという決まりがある。言わばそのマークはチームにとって速さの証でもある。
今回入手したこのパロディステッカーはいわゆるその類似品で、スマートというシャレのきいた車とこのマークの組み合わせはなかなか面白いかも!との発想からスマート購入以前より提案していたもの。実際に店頭で見つけたときは他の誰かに買われてしまわないようにと真っ先に握り締めたものだったが、いざ愛車に貼ってみるとなんとなく薬局のバーゲン表示のような色合いでいまいちパッとしない。いやパッとしすぎているのか... 想像以上のミスマッチだが安くはなかったからしばらくこのままにしておこう。 |
(186) いりません 2003/12/20
当てにしていた商品も見つからないまま店内をさまよっていれば、バイトと思われる女の子と目が合う。なんだか恥かしそうにすれ違った後しばらくして、恐る恐るこちらの様子を伺いながら近寄ってきた。 「あのー、当店オリジナルのカードを...」 私は比較的はっきり物を言う癖がある...目の前でガックリと肩を落とし、なかなか歩き出そうとしないその子を見るとせめて話だけでも聞いてあげればよかったかと少し可愛そうに見えた。 ここで、以前訪れてきた新聞の勧誘を思い出す。この感情が読みもしない新聞を3ヶ月も契約するはめになった。悪いが、いらないものはいらないのだ。
近所のカー用品店に立ち寄ってみる。年末の土日とあって店内はいつも以上に活気に溢れており、ジングルベルのメロディーにのせクリスマスセールなどという垂れ幕を目にすれば、自分へのご褒美?との錯覚がまるで図られたかのように沸いてくる...幸い今日は持ち玉が少なかったせいか夢は夢に終わり、サンタなんぞおらんのじゃ!と現実へ戻る。
「あ、そういうのはいりません。必要ないです」
(185) こだわりの一品 2003/12/19
本来は携帯電話ホルダーとしての設計のようだが、ほぼ携帯電話サイズのポケナビにもジャストフィット。正に専用品の如く馴染むデザイン。店頭で見つけたときは他の商品500円〜に対し2,700円というお値段に相当迷いがあったが、パッケージを見る限りMede
in
Germanyとの表記。ほ〜ドイツ製かい。国内製品によくあるナンセンスなメーカープリントやスケルトンデザインとは無縁の、実用性重視のまとまりは素晴らしいの一言。左右のサポートによるがっちりとしたホールドはボタンワンプッシュでリリースし、即フリーとなる。フロントガラスには吸盤にて固定し、スピードメーターとほぼ同距離に位置するため非常に見やすい。 スマートという車にはこういうアイテムがよく似合うのだ。見ているだけでニンマリである。
近頃では携帯電話使用による交通事故が多発しているという。十分頷ける要因の多くはドライバーの前方不注意という事になるのだが、私も以前、愛用のポケナビを助手席に置き無謀にもルート案内を見ながらの運転で前の車にコツン!とやった事がある。幸い大した事故にはならずゴメンナサイ!で済んでしまったのだが、それ以来探し求めていたポケナビホルダーにようやく今日めぐり合えた。
(184) カメラと歩く [教科書はない] 2003/12/18
高校生ともなれば興味はあらゆるベクトルを持ち、原付を乗り回す者がいたり、クラブに明け暮れる者もいる中で私は案外地味な存在だった。電気課への選択は私にとってドンピシャのジャンル?だったようで、日々の授業すら楽しく思え、この3年間は全くと言っていいほど写真には接しない日々だった。たびたび興味本位でクラスのバンドのライブをビデオ撮影したりもしたが、どれも資料映像程度の出来栄えでメンバーへの記念の1本にすぎなかった。 専門学校に通うようになり放送制作に関するベーシックな技術を一通り習うわけだが、それらが即何かの役に立つはずもなく、初めて買った一眼レフカメラ
ミノルタα-5xi
を持っては友達とよく多摩川や横浜に繰り出した。小学生の頃とは違い多少はカメラの仕組みやフィルムの選び方など、ありがちな技術先行型の写真ライフを送るようになる。粒子は細かいほど良いフィルム、背景がボケる程良いレンズ、オートフォーカスが早く連写枚数が多いカメラほど優れていると思っていた頃である。
映像や音響に関する専門学校を探すべく学校説明会に参加した時、「こういう業界は感性がないと...」
そんな言葉を聞かされたのを覚えている。生まれて初めて聞いた ”感性” という言葉はその頃の私には ”もって生まれた特殊な能力...”
そんなふうに響いた。
(183) 便利だったり邪魔だったり 2003/12/17
取り付けはセンター位置が納まりが良いと認識しているだけに、マウント方式に多少の対策が必要か。別メーカーではGPSを利用し40Km/h以下では警告をキャンセルする製品もあるらしい。それがほしいなぁ。
愛用しているGPSレーダーはソーラータイプ。しかしGPS&カーロケーター内蔵ともなるとその消費電力はかなりなものらしく、フル充電で50時間使用可能な説明とは裏腹に実際は1ドライブ持てば良いほうである。バッテリー残が少なくなればまずGPS機能が停止し、その後レーダー自身が停止する段取りだが、いずれにしてもレーダーという重要な?役割が休止状態となる事への不安は快適なドライブを楽しむ上で検討すべき問題である。シガーソケットの配線からパラレルにレーダー用電源をピックアップし、常時電源供給としたのも記憶に新しいところ。
簡単に言えば、ソーラータイプの必要性は無かったと言うことになるが...
以来電源への不安は皆無となったわけであるが、不満点は他にもある。この手のレーダーは街の商店街に多く存在する自動ドアに敏感に反応する事は承知の通り。都会の渋滞ともなれば鳴り響く警告音にイライラも上乗せされるというものだ。本体には3段階切り替え式振動検知センサが組み込まれており、アイドリング等の未走行時には自動的にミュートがかかる仕組みではあるが、感度調節をLowに設定したところで3気筒エンジンが発するバラつきのある振動には対応しきれないのは明らか、小さな車内には止め処なくピコピコ音が響き渡る結果となる。
(182) 眠れない夜 2003/12/16
私は昔から本番に弱いタイプである。遠足の前は当然の事眠れないし、ズボンのベルトは締め忘れ、バスの中ではお腹が痛くなる。やれやれ大人になってもこれら持病?は治らないらしい。しかし今日のはちと様子が違うようだ。特別、本番も無ければ緊張も無い、いたって自然な毎日を送っているのだが...もしかしてコレが寝冷えと言うやつか。格好は悪いが腹巻でも買いに行くか。
う〜む、お腹が痛い。2時間と持たない周期でやってくる痛みにおちおち眠ってもいられない。どこぞの女優さんの妊娠騒動に負けじと、子供でも生まれるのか?
(181) カメラと歩く [興味から始めた] 2003/12/15
写真を始めたのは小学校5年。当時地球には76年周期で訪れるハレー彗星が大接近していた。家には一眼レフなどという高価なカメラは無かったため無名のインスタントカメラで毎週のクラブ活動を楽しんだ。何を撮りたいとの信念も無いまま山になったプリントの多くはよくある花や風景のピンボケ写真ばかりだったが、それでも校内の写真展で発表した1枚は別のクラスの担任が1000円で買ってくれたのを覚えている。そしてどうしても星の写真が取りたかった私は友人のお父さんからマニュアル一眼レフを借りレリーズも使わず手ブレした北斗七星を撮った。今考えればよくもまあ近所のガキンチョに高価なカメラなど貸してくれたものだ。 やがて入試など存在しない田舎の中学へとエスカレート式に入学し、写真部も無かった学校だけにしばらくカメラから離れる事になると想像したが、修学旅行や登山などのイベントでは担任に一眼レフを渡され記念写真は決まって私が撮っていた。きっと私のメカ好きを担任は分かっていたのだろう。その頃はシャッタースピードや絞りの知識などあるはずも無く、仕上がりは中学生の私が見ても決して良いとは言えなかった。勿論担任がもう一台のカメラでこっそりバックアップしていたのは見逃さなかったが... その後、遊びの事でいっぱいになった頭を一時的に勉強へと向け、奇跡的に工業高校への合格を果たした。今思えば全ては恵まれた環境下にあった。
いつしか好きになっていた写真。今の私への軌跡を少しだけ振り返った。
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