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(290) 創作は現実を超えず    2004/04/02

近頃ではあまり見かけなくなったレーザーディスクのプレーヤーを、社会人として初めてもらった給料で購入した。ほぼ10年前の当時としてはVHSのビデオに比べ画期的に綺麗な画像には大満足だったのだが、DVDの登場と共に自然と世間からは消えゆく運命となった。

そもそもレーザーディスクの購入に至ったのは、BGMならぬBGVとして深夜のTV放送あるいはボーリング場などで延々流れている環境ビデオ的な楽しみ方が目的であった。意味もなく無駄に流れ続ける音楽や映像が好きな私は、レーザーディスクをリピート設定することでソレを実現させようと考えたのだ。そして初めに購入したソフトは ”北海道の四季” とかいう今考えれば1度見れば十分と思える退屈な内容の、しかもモノクロ画像にやっと色がついた時代の古めかしい映像で、購入時にいつ発売された物かの確認を怠った事もあり、大失敗に終わった記憶だけが鮮明に残っている。それらのネタを仕事関係のあらゆる人に話したところ、以外にもあっさり返ってきた答えの中に 「私なら映像ではなく本物を見に行くな!」 との意見があった。そして今の私も同じ事を思う。

それ以外にも大量に購入したソフトの数々を眺めながら、今夜あたり出かけてみようかと考えた。



(289) おそらく今が最高の時    2004/04/01

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このところ ”晴れ” が一週間と続く事が無い。洗っても洗っても乗らずに汚れてしまう SMART がちょっぴり可愛そうである。

明日の晴天を約束するように傾いた夕日が照らし出す少し大人びた情景は、私の乏しい感情の隙間を潜り抜けるようにして穏やかにそれでいてピンポイントに刺激してくる。一番好きな時間でもあり、一番寂しくもある時間。ただ夕日を眺めるのもいいけれど、お気に入りの SMART に目をやれば、尚の事感情も高まるというものだ。

窓に反射する電柱や住宅が大自然の山や海に変わる場所で、波の音に耳を傾けたまま少しずつ現れる無数の星に、誘われるようにして忘れた時間を大切に出来る ”ゆとり” を今はただ願うばかりである。

しかしまた、今夜から雨が降るらしい。


(288) 遠くより目先の1歩    2004/03/31

世間的に4月といえばスタート時期の印象が強く、何が変わるわけでもない私でさえ、妙にフレッシュなイメージを思い描く。

せっかくだから何かを始めよう!などと考えても、段取りよく進むはずが無い事は自分が一番分かっているからして、計画にすら踏み出さないのが現状ではあるが、思い立った事を即実行に移すことが結果へ繋げる一番の近道だとするならば、正に今がやり時! という結論に達したわけである。

が、のんべんだらりとマイペースで進む時間の中からはコレといった思いつきも無く、自分のWEBを覗いてみればすでに見飽きたTOPページ。そうか、これを何とかしよう!手をつけたのは晴天を無視してのホームページ更新。

年に1度ペースで更新目標の Photo Gallery コーナーは未だ素材が揃わず、2004年版の公開はまだ先になりそうで、今日出来そうな事はSMARTコーナーのリンク追加に留まった。気分一新といきたいTOPページは写真のみの変更か...しかも見た事のある絵柄。それでもWEB上で公開するのは始めてのカット。実は他のものとは撮影日が違うのだ。天気が悪く本格的な撮影を断念した時の思い出の1枚である。



(287) 流れる景色の中に    2004/03/30

電車の窓からは毎年仕事終わりの徹夜明けに羨ましくも眺めた満開の桜が見えた。
線路沿いに流れる川のほとりには沢山の花びらがひしめきあい、どちらも自然が1年掛けて準備した演出のようにも思えた。
ただそれが、長くは続かない事を川の流れは予感させた。緩やかな流れに身を任せる無数の花びらに、おのずと私は降り出した雨に空を見上げた。

東京に来て始めて見た桜は、専門学校入学式の日本武道館入り口だったと記憶している。思えばもう10年以上も昔の話である。少しずつ薄れ行くモノクロの記憶の中で、桜だけが鮮明な薄紅色を主張するのは、当時の演出がまだ私の心に響いているからだろうか?



(286) 機械に頼らぬ正確さもある    2004/03/29

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最近気になり始めていたメーターディスプレイに表示されるスパナマーク。それが点検時期を促すメンテナンスインジケーターであることは承知していたが、今までは走行距離 15000KmからのRemain表示であったのに対し、気づけばいつしか日数表示に切り替わっている。しかも今日確認すれば残り ”19日” 。なんとなくディーラーへ急がなくてはならない気持ちにさせられる。しかし、本来15000km走行か、1年走行を知らせるもののハズが、納車数ヶ月にしてあと19日とはどういうことなのか?これまでにオイル交換だけでも3回を数え、走行距離こそ人より多少大目の7000Km強だが、一般的に見ればよくいたわっている部類だと思える。頭をよぎるのは数週間前ディーラーにて行ったエアバッグ警告灯のリセット作業...

早速診断を受けるが、メカニック担当者も原因不明という。とりあえずリセットは出来るが任意の数値からのスタートは不可能なため、また15000kmからのRemain表示になってしまうとの事。イヤだ!と言ったところでそれ以上の対処は出来そうにない。やむなく承諾し、時間をおいて確認すれば話とは違う10000Kmスタートとなっている。お話にならない...
安全を考慮してのインジケーターが正常動作しないだけでなく、誤動作への対処すら出来ないのなら、そんな小難しい機能はつけなければいいのに!と思うのは私だけだろうか
ディーラーいわく点検時期にはお知らせ通知をお送りしますので...。 それならばこんな機能になんの意味がある?行き過ぎたハイテク化も考え物である。


(285) そんなところが GOOD    2004/03/28

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その芋虫みたいな物は何?

スマートに初めて乗る人の多くは室内の広さに驚きつつも、2,3Km走って目も慣れれば、決まり文句のようにその手頃なレバーらしきものを指差す。言葉を発した後、延長線上に位置するドアミラーから大体の察しはつくようだが、笑いネタとして改めて聞き直してくる人も多い。

そうさ、そいつはミラーを調整するためのレバーなのさ。
えー電動じゃないの?
スマートに電動ミラーは似合わないでしょ。そういうところが可愛いんじゃん!
ダッセーーー。

そ、そう?私は本当に気に入っているのだけれど...


(284) 十分幸せなのです    2004/03/27

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友人に言わせれば、「私には高級車は似合わない」 のだそうだ。
大きなお世話だ!と返したい所だが、言わんとすることは分からんでもない。スマートが高級かどうかは別として、そんな車で大自然の中を走るのが大好きである。そして仮に、
都会=お金が懸かる=高級 という公式が成り立つとしたら、こんな私に高級は似合わないということになるのだろう。

フェラーリやポルシェが似合う男に憧れはあるものの、先立つものが準備できない私には似合わないことが返って幸いしているというものだ。さてお金があったらどうだろう?

この文章を書きながら準備していた出来立てのインスタント焼きそばを床に落として泣きそうな私は、高級など似合わずとも十分幸せなのだと思えた。


(283) 思い出にふけるとき    2004/03/26

久しぶりに電車に乗ったのが幸いにも季節を感じるきっかけとなった。

夕暮れ過ぎの街のカフェには7,8人の女性客に花束が一つ。よくある風景を目前に、今は近いようで別々の道を歩む過去の会社の同僚はいつも通り説得力のある口調でこれからのお互いについて話した。
今頃になって感じるのは同期がいるというのはありがたい事である。目上でもなく、後輩でもない同じ立場での会話には、ひとつひとつの言葉の裏に安い飾りつけが無い。そして同じ時を過ごした経験からか、どことなく考え方や感じ方も似ているように思う...

時間を忘れ表に出れば弱まる事の無い風がいっそうの寒さを感じさせ、25kmの道のりを果敢にもスクーターで帰っていく後姿を見届けた後、通勤ラッシュで溢れかえるホームから急ぎ足で電車に飛び乗れば、またもいくつかの花束を目撃する。今日は3月最後の金曜日。その花束の向こうにはいくつもの別れがあったのだろうと、1年前の自分を見ているようで少し寂しくなった。



(282) そこに見る日常    2004/03/25

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お花見という話は何処へ行ったのか?混雑が予想される土日を避けての予定は、あいにくの天気と目まぐるしく変化する気温低下との理由から、なぜか日光温泉小旅行へと姿を変えた。いつもなら有無を言わさず動き出すスマートも今日ばっかりはお留守番。友人が所有する MAZDA MPV にて一路北へ足を向けたわけである。

待ち受けていたのは標高の高さが象徴する、一月も二月も前に体感していた真冬のような寒さ。オフシーズンが幸いして静けさを手に入れた目の前に広がる広大な水面は、残雪と呼ぶにはあまりに新鮮で大量すぎる雪化粧を見事なまでに身に纏った視界いっぱいの景色と共に、実像と虚像との当たり前の空間をどこか非日常的な景色として映し出していた。

空を見上げる。僅かに揺れる水面の反射に目を落とす。分厚い雲の向こうから何とか地上に到達したほんの少しの太陽光は、そのどちらもが本物である事を教えてくれる。そしてなぜか、実像以上に魅力的に映る虚像の美しさは、現代社会の成り立ちと上手くオーバーラップする。

だとしたら水面を柔らかく揺さぶる風の存在とはいったい何にあたるのか?

 


(281) 私ならこう考える    2004/03/24

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例えば同じ映画を見終わった時、人がそれにどんな感想を持つかに非常に興味がある。勿論、自分がどう思ったかというモノサシが第一の基準となるわけだが、大きいか小さいかという概念よりも、そのモノサシで計れるものか否かという所が実に非サイエンス的で面白い。おそらくそれは感情という形にし難い立体的な表現が誰しも皆共通ではなく、時間にさえ影響を受ける弱い部分だからこそなのかもしれない。

何をするにも偏り気味の私は愛読する本にしても例外ではない。小説といった部類はほとんどと言っていい程読まないのだが、同じ活字でもエッセイ関連は大好きだし、漫画の類は手に取ることすら無い。世間を見ても、今の話題や流行に興味は無いが、それを人が見たり聞いたりした事への感想は人一倍聞いてみたいと思う。

自分は何を感じ考え、人はどう思い行動するか?世の中ではそこにすれ違いのほうが圧倒的に多く、苦痛や やるせなさもあるけれど、少しだけ近いベクトルにお互いが協力を覚えるのもまた楽しいものである。

分かるようで分からない。だからこそ人は想像するんですね。


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