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(640) 何も考えずに    2005/03/18

理想という漠然とした形のないものと、現実という具体的に出来上がった答えを比較するとき、どうしても説得力があるのは目に見えて分かりやすい現実のほうだろう。ただこの場合、”理想=雲を掴むような” という非現実的なイメージが先行し、”現実=なるようにして出た答え” という わりと受身の結果のように解釈してしまう。

私は昔から理想ばかりを追いかける癖があるらしい。人に言わせれば私の考えなど単なるキレイな理想系。しかし人というのは現実という変化に乏しい地上にいて、理想となる果てしなく続く高い空の狭間で、いつかはそこに手が届く事を夢見て努力する生き物だと思う。

やきもきする日。そんな時は深夜の冷え切った車にそっと乗り込みアクセル全開で姿を消す。ただそれだけでチャラになる。


(639) 時には人の    2005/03/17

4月に入ると私の大好きな写真家 ”内田ユキオさん” の写真展が開かれる。

モノクロームの世界に切り取られた日常の小窓。容易く形に出来そうで最高に難しいありふれた生活観を見事なまでに表現する様は、さすがにプロの名が相応しい。写真という一枚の静止画を象るのに小難しい知識や概念は二の次であることをストレートに教えてくれる数少ない表現者。

すばらしい景色はどこかへ見に行くものではなく、日常の中に感じるものであることをいつも教えられる。 


(638) 大きな空の果てに    2005/03/16

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仕事をしながら眺める夕日。身体を拘束されている分、その色はなお美しく見える。

昔、同じ目標を持ち徹夜を張り合った職場仲間に、私より7,8歳年上の元気な女性がいた。アルコールが入ると気安く私に抱きついてきたり、ピンポイントで大事なところを握ってきたりして何かと大変な思いもしたが、ここぞ!という時はいつも頼りになった。

”30なんてオバサンさ!” そんな事を遠慮なく口にした ”若僧”だった頃の私には随分大人に見えた存在...。その年齢を迎えた今の自分はどれだけ子供だろう。あの頃会社のベランダから眺めた夕日の中に初めて ”UFO” を見た事実を、こんな色に直面するたび思い出す。


(637) 東京より寒い鹿児島    2005/03/15

人生というのは一度きりしかないというもっぱらの噂だから、おそらく皆が毎日を必死に生きている。

仕事に遅れることは許されないと自ら覚悟を決めれば、”気だるい身体に鞭打って起きる朝” を準備するように少し焦りながら床につく。う〜む、これが社会人というものか?マンネリ化された毎日をコンスタントにこなせる事は、よーく考えれば幸せの結果であるが、そんな時いつも思う ”もう一人の自分”。あの時違う道を選んでいたなら今頃私は何をしているのだろうか?宝くじでも当ったかの如く、想像だけは夢のような世界...

昨日見たのが富士山なら、今日見ていたのは桜島。2時間の移動で明らかに違う景色を目にしてもいまいち説得力に欠ける飛行機の旅。


(636) ふと自らを考える    2005/03/14

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考えてみれば今まで、富士山を上空から眺めたことは無かった気がする。

見上げてこそ山。日本一を歌う富士山を窓の外に確認する高度ともなれば、下界でピーカンだった空は尚のこと青い。空から見る地上には、退屈に群れる車の渋滞の列さえ確認できず、信号待ち程度でイライラしてしまう普段の自分の存在の小ささを認識させられる瞬間。

地球はデカイ。されどそこに住む人間の力はその迫力をしのぐパワーを持っているらしい。

これだけの大自然の環境をいとも簡単に壊してしまうのは、おそらく地球上で人間だけなのだろう。


(635) 準備万端    2005/03/13

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具体的な案など無い。しかし充実したドライブを想像すれば、やはり絶景望む展望パノラマなんぞいいかもしれん!スタッドレスタイヤすら持たない私の事。この季節にそんなワガママが通用するハズもなく...。

最近は飛行機やら新幹線やらで、やたらと各地を飛び回っているのだが、そのどれを振り返っても ”実感の乏しさ” は認めざるを得ない。新幹線で3時間なら、車で10時間かけて移動するのがそもそも私のスタンスだからして、ロープウェイで一気に駆け上がる山頂よりも、一歩ずつ踏みしめ立つ頂のほうが同じ景色も違って映るものだ。

目の前に迫る春の到来。桜前線を大きくリードするかたちで、気持ちだけは ”春レジャー” の準備に入る。

待ち受ける景色。湧き上がる喜び。予想もしないトラブル。え?! 何はともあれ楽しいシーズンがやってくる。


(634) これとて春の訪れ    2005/03/12

近頃は寒い地方から暖かい地方へと精力的に動き回っているせいか、ダイレクトに感じる ”花粉症” の症状。

昨年は例年に無くその苦しみが少なかったのだが、例のシジュウム茶の威力あっての結果?と考えたのはもしや飛交う花粉の絶対的な少なさが原因だったのだろうか?今年の状況を考えれば以前と同様、しっかりくしゃみ、鼻水、鼻づまり、の症状が伴い、お目目も痒いのだ。

私の場合酷い時には両方の鼻がしっかり詰まってしまうからほとんど呼吸困難状態!家にいるときはティッシュを鼻の穴に突っ込んでもいられるが、人前で多少の気を使うなら鼻炎の薬に頼らざるをえない。なるべく控えていた コンタック600 のカプセルを飲み込んで1時間もすれば猛烈なる睡魔が襲う。

目のかゆさが重なれば昼間からしっかり睡眠。昼寝なんて何年ぶりだろう。


(633) 求めるは最上の時間    2005/03/11

知人が語る釣り話。朝寝坊が私を表現する第一のコマンドと考えれば、暗いうちから糸をたらすその行為など睡眠薬に近いのでは?と単純に考える。

子供の頃を思えば近所にある防火用貯水池に海釣り用の針と近場で調達した糸ミミズ。これで鯉やフナが面白いように釣れた。貯水池だから竿など要らない、糸だけで十分な仕掛け。魚が食いついた時の指に伝わる何とも言えない微振動がたまらなかったものだ。

河口湖や山中湖でレンタルした釣具一式と手漕ぎボート。カタチだけはいっちょまえにまずはカッコ良いつもり!でルアーなんぞ投げてみるも30分も過ぎれば ”この湖には魚はいない” なんて言葉を吐き捨て、せめてものボート遊び。観光客が糸を落とす目の前を遠慮なく猛スピードで駆け抜けては ”ただの迷惑客” というのが私の思い出。それが大人になってからの釣り経験...

季節も暖かくなってきた事だし、数年ぶりにボーっと湖でも眺めながら、もう一度やってみるかなぁ。


(632) 三十路路線    2005/03/10

ホテルの大浴場に忘れた腕時計。大抵の場合翌日の朝になってから気付くもの。

あきらめ半分でフロントに尋ねた忘れ物の届出。入浴時間終わりギリギリで入った事が功を奏したのか、まさかの再開。世の中には良い人もいるもので、きっと親切に届けてくれたのだろう。もしかすると風呂掃除の係りの人だろうか?

数年前の記憶にも実は全く同じ経験があった。ホテルの最上階にある展望風呂に忘れた腕時計。それは大切な人がわざわざニューヨークで買ってきてくれたもの。翌朝血眼になって思いあたる場所を探し、数週間後に再びそのホテルを訪れてみたが結局発見される事は無かった。物が無くなること以前にプレゼントしてくれた人の気持ちを蔑ろにしてしまった気がしていたたまれなかった。
日本国内で購入できる店舗を探し、東京の代理店数店舗に在庫が無い事は確認、ターゲットを広げ静岡まで南下すれば1点のみ在庫有り!即、購入と相成った。しかしそれは型番こそ同一モデルだがプレゼントされた物に値しない。

その時から私はこう考える事にした。”プレゼントしてくれた人と私自身の気持ちが入った腕時計”。30を迎えた今日の日に少しだけ20代を振り返ってみたかった。


(631) 春、感じる。    2005/03/09

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北海道から一路南は四国へ。

直線距離にしておよそ1,100kmの移動は、冬から春へと季節を飛び越えたような気温差を感じ、小雪舞う ”札幌仕様” の重装備なる上着など、ただの ”お荷物” ではないか!

単線、一両編成のディーゼル列車に揺られたどり着いたのは、こじんまりとした落ち着きをみせる無人駅。これで神前(かんざき)と読むらしい。

小鳥が囀る声が聞こえ、学生達が列車から降りてくる。駅前にタクシーのスタンバイなど無く、客のいない床屋が一軒。その景色は生まれ育った長野の地を思い出させ、住むならばこういうところが良いと素直に思えた。


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