実家の長野へ帰った日。ここのところ何かと事情があって実家方面への移動が多いです。
私ももう50になりましたから、歳相応に身の回りの変化が増えてきて、仕事も、家庭環境も、これまであまり経験してこなかったような出来事が続いて最近少しお疲れ気味なのは確かです。でも多分それって私だけではなく人は生きている期間の中で人生一回分の喜びや苦労が平等に巡ってくるのだろうと最近そんなことを考えます。仏教の世界ではそんなところから ”人並” という言葉が生まれていそうな。
私は人並に生きているだろうか、人並に人のために尽くしているだろうか、そう考えるとまだ50。ざっくり言えばまだ人生半分しか経験していないひよっこなのですから人並に生きているなんて到底言えるはずもなく。
ではひよっこの自分に出来ることは何か、誰にも共通して言えるのは、その歳相応の全力で正面から向き合う事ではないかと。二十歳には二十歳なりの元気のよい向き合い方、五十歳には五十歳なりに俯瞰した向き合い方、八十歳には八十歳なりの経験に基づいた向き合い方、例えるならそれこそが人並の通過点ではないかと思うのです。二十歳の向き合い方は五十歳の私には出来ませんし、五十歳の考え方だって八十歳には出来そうにありません。だからその歳で出来る全力は今の自分にしか出来ない貴重な能力だろうと。
先日、プライベートで同じような苦労をしている仕事仲間とそんな話をした時、「それでも少しずつ終わっていくんだよ」と言われました。なんだか行き詰まりそうだった自分がたった一言で救われた気がして今も頑張れています。
今日は少しだけ前進した日。帰り際、急な雨で目の前に綺麗な虹が現れました。こんな近くに現れた虹は初めて見ました。


