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(1850) 平日の中央道    2008/07/10

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実家にいる母親が昨夜救急車で運ばれたとの連絡があったので昼間の仕事を済ませると早々に中央道を飛ばした。

今までにも何度かこんなふうなシーンはあったけど、その度に行って見れば案外元気な様子だった。
今回もそうであれば良いと思う。


(1849) 写真は3年前の秋    2008/07/09

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曇りがちな空、沈みがちな気持ち。
梅雨だからと言えばそれまでだけど、確かにここの所疲れている。

考えてみれば誰でも、
”今日は疲れも無く絶好調” なんて言い切れる日など無いのだけれど。

毎日睡眠時間は3,4時間。

居眠りしていれば仕事が終わってくれるなら楽かもしれないけど、
そんなやりがいの無い毎日はつまらない。

 

「頑張る」 という言葉は、相手に対して励ましや勇気付けに使う場合もあるけれど、
精一杯自分で努力をしてそれを相手に報告する時に、

「私は頑張っています」

という具合に使う言葉だと、あの ”さだまさし” が言っていた。

私もそんなふうに一つの言葉を丁寧に使えるよう努力したいと思う。

 


(1848) 昔は面白かった場所    2008/07/08

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秋葉原で邪悪な事件が起きたというニュースは私が中国成都に到着した日に耳にしたから、今日でちょうど1ヶ月が経過した事になる。

仕事でたまたま訪れたその街には今日も沢山の警官と報道陣の姿。歩道には花束も目に付いた。

数年ぶりに見た秋葉原は記憶のそれと大きくは変わらないまでも、目的とした店が無くなっていたり、平日にもかかわらず ”メイドさん” が異常に多かったりで、日本を代表する電気街の姿はやや変わりつつあるようだ。

裏通りを歩くと、”電子パーツのジャンク屋” より ”激安パソコンショップ” が増えたのはこの時代の影響だろうが、時に、わけの分からない人形がショーウィンドウ越しにディスプレイされていたりすると ”いったい何のお店?” と考え込んでしまうのは私だけだろうか?

ただでさえ ”電気街 = マニアの街” というイメージが強いのに、純粋に電気が好きでそこを訪れる人にとっては非常に近づきずらい街になってしまったように思う。


(1847) ヨーロッパから遊び心    2008/07/07

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最近のデジカメであれば手ぶれ補正機能は当たり前。でもそれとて完璧に役に立つのはせいぜい 35mmで 1/15秒位までだ。それよりもスローシャッターを使う場合にはやはり三脚は欠かせない。

一昔前まで一眼レフカメラと三脚という組み合わせは、一部の山岳写真家やカメラマニアの ”大道具” という印象が強くて、一般家庭では持っていない事のほうが多かったのではないかと思う。でもデジタル時代になりカメラが小型軽量化されたおかげで、三脚さえもポケットに入るような小さなものが実用的な商品として販売されるようになった。

普段からそのような小型三脚を持ち歩いている私だが、時にバッグすら持たずカメラ一つで出かけ、夕暮れ時などにはちょっとした三脚があったらなぁと感じる瞬間がある。そこで登場するのがここで紹介する ”Manfrotto MODOPOCKET 797 ” だ。

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折りたためば6mmというプレート状になるためカメラの底面につけっぱなしでも邪魔にならず、三脚ネジも装備しているからそのまま雲台への取り付けもOK。徐に足を広げれば台形のような形で立体的に踏ん張るから小型カメラであれば十分にホールドできる。しかも前後方向へのフレキシブルなアングル調整が可能。

そしてこれがあのイタリアを代表するマンフロット製だというから、私の物欲がくすぐられないはずは無かったというわけ。

なに七夕?今日の東京は曇りだから星など見えんのだよ。


(1846) もう1年が経ちました    2008/07/06

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12ヶ月定期点検の案内通知は5月の時点で手元にあったが、仕事でバタバタしており予定を立てようにも不安定な生活が続いていた。
6月納車だったから点検時期はもうとっくに過ぎてしまった事になる。フロンとガラスに貼られた点検時期を促すシールがやけに目に付く...。

色々考えた結果、今回は12ヶ月点検をパスすることにした。
カーディーラーにそれを相談したら当然 「受けなくても構いません!」とはいかないが、何しろ私としては前代未聞の年間 3,500km しか走行していないのと、
MINI は現代車と違って造りがシンプルだからディーラーで行う程度の点検は自分でも出来る。使いもしないワイパーブレードの交換なんぞされても困るし。

だが、このタイミングで予定していたオイル交換とポリマー加工だけはお願いする事にした。グリスアップはまた次回で十分だろうとの判断。
3,500kmしか走行していないのに2度目のオイル交換。オイルだけは交換しすぎ!という事はないのでいい機会だろう。
ミッションオイルとエンジンオイルを兼用している MINI だからなお更だね。

予定は来週末。”雨天走行禁止” を条件に1週間預けるつもり。


(1845) 賑やかになってきた    2008/07/05

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水槽を立ち上げて今日でちょうど2ヶ月が経過。水が安定し始めるのが立ち上げ後1ヶ月と言われていて、完全に出来上がるのは3ヶ月とされている。

水質変化にめっぽう敏感とされているエビ。水槽立ち上げ直後に投入するのはあまりにリスクを伴うため2ヶ月が経過した今日ようやく決断。ホワイトソックスというこのエビは真っ赤な体に真っ白な足とヒゲ。合成着色料バリバリってな感じの自然界の生き物とは思えないような美しさは女性に大人気だそうな。その色の組み合わせから、特にクリスマスシーズンに売れるんだとか...。

魚と違って水合わせには特に気を使う。例の点滴セットで1滴ずつ水槽の水を足していき、1時間ほど掛けてようやく投入。ショック死させてしまう事も無く無事成功しておかもち水槽のワンポイントカラーになった。

それから今回はもう一つサンゴを追加した。”ハナサンゴ” という蛍光灯の光でも飼育可能なハードコーラル。でもこちらは投入後数時間が経過してもポリプを開いてくれない。多分水槽に馴染むまで何日か掛かるのだと思う。

ところで熱帯魚飼育というのは、知識と腕と根気が伴わなければ結果に結びつかないあたりが車のチューニングとすごく似ている。気が付くとビックリするくらいお金が掛かっているのも共通だ。


(1844) びっくりさせるなよ    2008/07/04

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10日間も家を留守にしたのだから心配なのは水槽の中の魚。

水の蒸発に備えて準備した1リットル分の純水を入れた点滴セットは見事に300cc程で止まっており、水位は5cmくらい下がっていたが魚は元気に泳いでいた。

コバルトスズメダイに関して言えば出国前に比べて一回り大きくなっていたから、きっとオートフィーダーも定刻に動いてくれていたのだろう。デバスズメダイは逆に痩せてしまった印象だから餌の粒が大きすぎて思うように食べられなかったのだろうな。慌てて砕いた餌をパラパラとあげた。

そして動きが無いのは ”ヤドカリ隊長”。元々あまり激しく動き回る種類ではないけれど、ピクリとも動かないのは様子がおかしい。割り箸を使って軽くつついてみると...見事に ”宿” だけになり、体の部分はライブロックの下へ落ちてしまった。

”ヤドカリ副隊長” は魚の餌の食べ残しなどを喜んで食べていたが、”隊長” のほうは人工餌を一切食べないから、ライブロックに付いた苔や藻を食べつくしてしまった事が原因だろうと考えた。ついに私の水槽でも一つの命を死なせてしまったと反省しつつ、”宿” だけは砂の上に置いておいた。

が、今日帰宅して水槽を見ると、昨日砂の上に置いた ”宿” が無い。よくよく見ればライブロック頂上付近の定位置に戻っているではないか!

どうやら昨日の事件は死んでしまったわけではなく、脱皮した直後だったようだ。ヤドカリって脱皮するのね。とにかく今は隊長の上に副隊長が乗っかる感じでとても仲が良く、元気で安心した。


(1843) もやに霞む歴史    2008/07/03

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フライトまでの数時間、北京で行きたい所など殆ど残っていなかったけど、ただ、去年故宮を訪れた時見られなかった俯瞰の景色。
ラストエンペラーの映画の中でも壮大な1シーンとして使われたアングル。故宮を見下ろせる唯一の場所。行ってみました。

ラストエンペラーと言っても最近は知らない人も多いようですが...。

故宮という建物群はその長辺が直線で1.2kmもあるのだから、それを俯瞰で見るには相当な”山登り”が待ち受けているわけで、
予報では最高気温35℃と言われた今日だから朝から汗だくの激しい運動となった。

頂上付近の万春亭から見るそれは映画や観光ガイドとなんら変わらなかったけど、ただ空気の汚さだけは際立って1.2kmの絶景には程遠かった。

帰国する飛行機の窓からは日本上空が茜色に染まっているのが印象的だった。


(1842) Beijin 最後の夜    2008/07/02

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もう来る事はないんじゃないか、そんな事を考えたら深夜0時でも出かける理由があった。

手元には地図もパンフレットも無かったが、ホテルのフロントマンには絵を描いてジェスチャーを交えて伝えた。
日本では ”鳥の巣” で通じても中国でソレを何と呼ぶかなど知らなかったからだ。
この時間でもライトアップされているかと聞くと、明日の夕方行く事を薦められたが私には今日しかなかったから有無を言わさずタクシーに乗り込んだ。
夕食時、日本人数人で居た所、5人程の公安に取り囲まれパスポートの提示を求められた経緯があったから念のためGPSと一緒に持参した。

タクシーの運転手さんとはすぐに仲良くなって、中国語と英語と日本語の混ざったおかしな会話をしながら15分ほどで到着。
北京オリンピックのシンボルだ。この建物がライティングされ始めたのは数日前のこと。
今日を逃したらもう一生見れないだろうと思いタクシーを止め降りようとしたところ運転手さんは盛んに何かを訴えてくる。

車を停めたというだけですぐにパトカーがやってきた。
オリンピック前だからということで会場周辺は100m間隔で公安のおまわりさんが直立不動で立っており、厳重警戒態勢なのだ。
運転手さんはそれを知っていたからなのか、私と一緒に車を降りて公安の人達を説得し、恐らく 「写真を撮らせてあげて!」 みたいな事を言ってくれたのだろう。
おかげでその人達が並ぶ前で堂々と撮ることができた。私といっしょに歩き撮影に付き合ってくれた。
車の中で話してきた写真を撮りに行くのが目的であることを理解してくれていたようだ。

その後も会場周辺をぐるりと周ってもらい他のいくつかのシンボリックな建物を見せてもらって無事ホテルに戻ることができた。
チップを手渡したのは言うまでもないが降り際に2人で記念写真を撮って固い握手を交わした。
ホテルのフロントマンには撮って来た写真を見せてあげた。

言葉は通じなくても気持ちは伝わる...。日本人同士だって時にはすれ違いがある。肝心なのは相手を理解しようとする気持ちのようだ。

いろんな意味で今が旬の中国。そこで一生懸命働く人達や、いろんなものを食べている人達、お金持ちも貧乏人も、沢山の人達を見てきた。
日本人である我々はあまりこの国に良いイメージを描かないようだけど、
少なくとも私が感じた中国は人間らしく生きている人が多いという事だ。


(1841) 外は雨、部屋には。    2008/07/01

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コーラとスプライト、最近はめっきり飲まなくなった。

アルコールの飲めない私が中国で食事時に頼むものと言えば根っからスイカジュースか、それが無ければ100%のフルーツジュース。暖かいお茶も美味しい。

ホテルの部屋に戻るとテーブルの上には決まってコーラとスプライトが置かれている。コレもサービスの一環なのだろうが、いかんせん寝るだけのホテル暮らしで飲める本数と言えば1日に1本。でも、2本ペースで補充されるからどう考えても倍のペースで増えていく。

昨日など、”お休み中” のプレートをドアノブに掛けたまま外し忘れてベッドメイクがされなかったと言うのに、今日になって部屋に戻ると昨日のぶんまでちゃっかり4本が置かれていた。

今は手元に6本。

2日前、仕事仲間に4本引き取ってもらったところなのにこれ以上どうすればよいだろう。自宅を一週間留守にして今頃 ”おかもち水槽” はどうなっているだろう?とい事以外に、今はこれが悩みの種だ。


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