実は数年前にもこの駅で降りたけどその時は少し景色を眺める程度だったので、学生だった頃の記憶をトレースしながらカメラ片手に歩いたのは15年ぶりとなる大田区蒲田。
たった2年間という専門学校生活は、正直社会人になって過ぎていった時間よりも内容が濃く、記憶に残る景色は思いのほか鮮明で、だからこそ少しずつ変化を遂げる現実とのギャップに少し戸惑いと切なさを覚えたり。お金を節約するために
TOKYU PLAZA
(スーパー)でバイトをする友人から期限切れのカップラーメンをゴミ袋3つ分貰って、同室の先輩と何日も食べ続けた事、通学の途中に見える駅ビルの小さな観覧車の事、2年間で数えるほどしか外食をしなかった私が先輩に連れられて入った
”さんきち” (定食屋)。
ほとんどの景色に大きな変化は無かったけれど、ただ私がお世話になった寮の全部屋にはエアコンが設置され、それが女子寮へと変わっていた。
寮と学校とは近いようで意外と遠く、線路沿いならではの直線の見通し距離が夏の炎天下には余計に気だるさを誘ったが、自転車でも渡れるよう異常にスロープを長くとった歩道橋や、走って通った銭湯へと続く操車場脇の道で、フェンス越しに見える休憩中の電車とブーンという小さな音のシンクロがあの頃の記憶をよみがえらせた。
さぼらずに毎日通った学校には校舎と呼べるものがいくつかあったけど、ある校舎は取壊され影形無く、ある校舎は新築されそれがかえって近寄りづらい空気を発し、いつまでも若いつもりだった自分に現実を押し付けられているようで少し寂しさを感じた。
変わらないものだってあるのさと、この日の昼食は ”さんきち”
を訪れ、あの時食べたメニューを必死に探したが、見つからなかったのは献立ではなく私の記憶のほう。でもお店のおばちゃんとは15年前の会話をし、また15年後に来るからとだけ伝えて店を後にした。
駅の向こうには私がバイトをした回転寿司屋が今でもあるのか気になったが、次にこの土地を訪れるその日まで、そちらの景色は楽しみに取っておこうと思った。 |