ソールライターという写真家さんが日本で有名になったのはほんの数年前に開催された写真展がきっかけだったのではないかと思います。その展示会には勿論私も足を運んでいましたしむしろつい先日の事くらいに深く記憶に刻まれています。
今回はその展示会の延長線と呼べそうでいて、展示作品はこれまで非公開だったものばかり。現在渋谷ヒカリエで開催されている写真展 ”ソールライターの原点” はソールライター財団によって生誕100年を記念してのもの。
「好きな写真家さんは誰?」と聞かれたら、間違いなく5本の指に入る私にとって大事な存在。今回は連休中にたっぷり時間を確保して見てきました。
平日だというのにこの入場者の多さには驚きました。お盆休みだからなのか、それとも日本におけるソールライター人気が高いからなのか...。
これまで私はソールライターの写真展には足を運び、写真集も持っており、映画も見てきましたが、今回の展示会でこれだけはソールライターっぽくないなぁと感じたのがこの入り口のアーチ。なんだかここだけがすごく現代ふうで写真展の内容とマッチしていない気がしてしまいました。
フレーミングの中に額縁効果を持たせる演出の多いソールライターなら、ここは円ではなく四角い入口をスパッと斜めにカットしたような演出が欲しかったところ。まあそんな事を言ってみても展示会の内容に直結する部分ではないので文句を言うな!と言われればそれまでです。
と、現地ではそんな感想を持ったわけですが、今になって思えばこのアーチは実は正面から見るのではなく一旦ここを潜り抜け後ろを振り返った時、初めて意味を成す演出だったのではないかと感じています。このアーチの逆側(歩いて潜り抜けた背後)には本日1枚目に掲載した縦アングルのプロジェクションが設置されており、それが実は透過型のスクリーンを使っていたんですよね。つまり裏側からも内容が分かるような仕掛け。
このアーチを潜って後ろを振り返ると、実はレンズを通してライターが見ていたファインダー像がそのまま再現されていたのではないかと...。
比較的早い段階で展示されていたこれらの作品。写真の内容だけ見てもピンとこないかもしれませんが、写っているのは上の写真がブレッソンで、下の写真がマルセル・デュシャンです。その他にもユージン・スミスやアンディ・ウォーホルを写したものもありました。
共通して言えるのは、現代に名を残す写真家や美術家をソールライターはポートレイトとして撮っていたという事です。そしてライターはこう名言を残します「有名人を撮ったからって良い写真になるとは限らない」と。
確かに作品そのものを見れば言いたいことは分かりますが、こうした写真群から感じられるのは、彼は野心あふれる芸術家たちの輪の中に居たという事実。今更ながら凄い存在だったのだと知らしめる材料でもあるのです。
ちょっと人が多すぎて自分のペースで作品と向き合えない窮屈感はありつつも、逆にこれだけ多くの人が足を運び彼の作品を見て、どれくらい内容を受け止めそこに良し悪しを感じているだろうと、そんなふうに人間観察するのも面白いと感じました。
例えば目の前に並ぶ作品の数々がソールライターという名を伏せたまま展示されていたとしたら、そしてそれが地下鉄駅構内にでも貼り出されていたらどれだけの人が足を止めるだろう...と。
名前が売れるというのは多分それくらい大きな力を持つのだと、この時そんな事を感じました。
ソールライターが写真家であり、画家でもあった事実は数年前のこの展示会で知った人も多いはず。カラー写真のパイオニアと呼ばれるまでに色彩をコントロールする写真家さんですから ”撮る” だけでなく ”載せる” テクニックを自ら絵を描いて学んだのかもしれません。
生きていれば今年で100歳の写真家さんです。入り口は当然モノクロ写真で、ファインダーを覗く目はモノクロ視点でフレーミングする癖がついていたでしょうに、世から支持されたのがカラーだというのですから、同年代を生きた著名な写真家さん達とは少々ベクトルが違います。
カラーという意味ではファッション誌を飾る多くの写真を撮っていたことでも有名。展示の中には当時のファッション誌も多く並び、そこにはソールライターらしいフレームの工夫が溢れていました。
時代背景を追えばピクトリアリズムがようやく認められた頃のファッション誌です、良くぞここまでアクティブに絵作りをしたものだと感心させられるばかり。見方によってはコピースペースを意識した現代アートのようで、今でもこれを真似するアマチュア写真ファンが多く、そしてそれがジョセフクーデルカよりも歳を重ねたお爺ちゃんが撮っていたというのですから...。
ソールライターは自分の部屋でよくリバーサルフィルムを透過したスライド鑑賞をしていたと言われています。展示スペースの中には当時本人が楽しんでいたであろう部屋を模した演出が行われており、スライドのカタカタと切り替わる音と共に本人の作品が常時映写されておりました。
流石に展示されていた映写機はダミーで、その下に目立たないよう設置された最新式プロジェクターにて投影されていました。スピーカーからスライドが切り替わる音が発せられているので多くの人は当時の映写機から投影されているのだと思い込んだでしょうね。
現代であればこれは映写機の代わりに大型液晶テレビとかで見ることになるのでしょうかね。ちょっとそれだと雰囲気が...。いわゆるローファイの良さってこんなところに出る気がします。
COMMENTS
コメントはまだありません。