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大人は原宿に何を思う(3)

Posted on 2018/02/17

モノというのは置かれる環境によって随分見え方が変わるものです。原宿と聞いて多くの人が思い浮かべるイメージはそれだけで形のない ”環境” と言えますから、そこで目にするモノの印象は原宿色に染まっているに違いありません。

観光地でお土産屋さんに立ち寄るとなんだかどれも魅力的に思えるように、置かれた環境というのはモノに対する価値観を一時的に麻痺させるようなところがあります。

一方でオシャレ好きな芸能人が高級ブランド品の一部に無名の安物を組み合わせる事で全体をリッチに見えるよう工夫するみたいに、環境の力をうまく味方にするのも面白いかもしれません。

そこらへんを普通にに走っているスクーターがなんだか少し輝いて見えた瞬間。なかなか赤いじゅうたんの横にスクーターって停めないですしそもそも赤いじゅうたんを普段見かけませんし。しかも高級腕時計のポスターがあったりして。

MINIに乗っているというだけでもオシャレ好きな人なのかな?みたいな印象があるのに、それがのれんの向こうに隠れていたりするとその雰囲気にやられてしまったり。

   

自転車ならママチャリからロードバイクまで街には様々なタイプが走っているというのに、ここで見かけるものは性能重視とか実用性の追及じゃなくて環境に上手くマッチするようなカッコイイものばかり。仮に何の変哲もない自転車でも置き方一つでセンスが光るというか。見られる事を意識してますよね。

犬だってカメラを身に付ける時代なのですから常に人から見られているくらいの気持ちで。

奇抜な印象が強い原宿ですから写真にするならカラーが良さそうですが、案外モノトーンもしっくり来ます。むしろカラフルすぎる街なので伝えたいものを整理する意味では2階調化に徹する事も手段の一つだと思っています。

逆に裏原と呼ばれるエリアには始めからモノクロっぽい雰囲気の場所もあって、そういうところはむしろカラーで仕上げたほうが空気感が伝えられるような気がします。このしっとりした感じは冬よりも夏のほうが似合いそうで梅雨時の裏原って案外良さそうですね。

大人は原宿に何を思う(2)

Posted on 2018/02/16

この街は何でもカッコよく見せる事が得意なのかもしれません。自分をカッコよく見せる、商品をカッコよく見せる、お店をカッコよく見せる、歩き方や座り方をカッコよく見せる、待ち合わせをカッコよく振る舞う...。

またその反面、カッコ良さを学んでいる場でもあると思います。あの人カッコイイ、あのお店で食べていたらカッコイイ、通行人の多い交差点を高級スポーツカーで駆け抜けたらカッコイイ、そもそも原宿にいたらカッコイイ。

いずれにしてもカッコよさを気にするという事は自分が人からどう見えているかも気になっているんじゃないかと思います。原宿に限らずその土地を歩こうと思った時点で少なからず環境に馴染む努力をしているんじゃないでしょうか。

山に登るのにハイヒールで行こう!という人は普通いない(最近はいるらしい)ように、銀座を歩くならバックパックよりレザーのショルダーバッグにしようとか、野球の応援に行くなら帽子を被っていこうと考えます。つまりその場へ足を向けようと考えた時点で予備知識的にある程度の理解をしている...。行く前から研究は始まっているという事です。

   

人はカムフラージュする事を今でも本能的に行っているのかも知れません。立派なホテルに泊まるのにボロボロの洋服じゃおかしいかな?とか、静かな協会を訪れたら大きな声を出してはいけないかな?とか、とにかく自分が置かれた環境で吐出して目立ちすぎないよう平均値を探りながら生きている...そんな一面が特に日本人には強い気がします。流行のものを身に付けるとか、話題の物を食べに行くなんてのも、人並みという言葉に置き換えられた平均値を探っている感じがします。

渋谷や原宿には建物の壁や自動販売機への落書きやステッカー貼りが後を絶たないと聞きます。確かに街の至る所にそのような傷跡を目にしますが、これもカムフラージュの一つだとすれば、街が人に染まっているとも言えますし、街に人が染まっていくとも考えられます。どちらも良いとか悪いとかではなくて、もし人が本能的に平均値に落ち着こうとするならば、実は個性が目立つとされる原宿も放っておくとどんどん均一化されていって、1年前は奇抜とされたものも今年になったらそれが普通...みたいに、人の感覚のほうが麻痺していって、そうなるまい!と思う気持ちが若者には強く、この街と集まる人達を常に次のステップへ導いているのかな...とそんな事を考えました。

それって言葉の進化にも似ているような気がしますね。新しい言葉って大抵若者から始まったりしますから...。

大人は原宿に何を思う(1)

Posted on 2018/02/15

特に用事があるわけではなく、その界隈を歩く事に意味を見つけるような街。何かのデモ行進かと勘違いするようなこの人混みが原宿の週末。若者だけでなく大人だって少しワクワクする場所なハズ。表参道ヒルズが出来た頃から少しずつ年齢層が上がってきた気がします。

外人さんが多いのは近年全国各地共通ですね。

原宿は大きく立派なお店より、こじんまりとしていて足が止めやすく食べ歩きを実現するファストフード感覚のお店が流行ります。キッチンカーなんてのはその際たるもので、お弁当や給食といった普段食べ慣れている ”現実的な食事” とは対照的に、出先で自由な時間を過ごしているという実感が楽しめる身近な贅沢なのだと思います。原宿と言ったら ”クレープ” を思い浮かべるのもそんなところに通ずるのかなと。

歩き方だって自由。恋人とのデートは勿論、ベビーカーを押しながらの若い夫婦がいたり、キックボードで人の隙間をすり抜けるように走る少女がいたり。厳密に言えば公道でキックボードやスケボーって...という疑問もありますが、そういう細かい事はここでは言いっこなしです。

正論を押し通すだけでは生まれないような自由な発想がここにはあり、それが日常と皆が解釈していればおのずと原宿ルールが成り立っていく...。”決まり” というのはモラルの無い人がいるから作られる規則だと思いますが、ここを霞ヶ関にする必要はない。あまりに度が過ぎたらどうか知りませんが、ここだけで成立するルールがあるのならその範囲で自由にすれば良いと思います。私のような大人が訪れてもどこか解放感を感じるのはこの街にそういう自由が成立しているからなんじゃないかと。

規則を厳しくする事で成り立っている街は沢山あると思いますが、自由を尊重して成り立つ街ってあまり多くないと思います。

 

ここに奇抜な一面を見つけるのはそう難しくありません。むしろ視界の中に落ち着いた景色だけを収めるほうが無理があります。あっちを見てもこっちを見てもやり過ぎなくらいの個性で溢れている。行き交う人も裏路地のショップも聞こえてくる音楽も。

それでも不思議なのは派手な中にも美を感じる一面が確かにあって、逆にそれは少しばかり小奇麗な街よりも感じやすく見つけやすい。向かいのショップのショーウィンドウに映る影だとか、時には人が立ち止まる瞬間だとか。他人が何かに魅かれて立ち止まる瞬間って日々の暮らしの中でなかなか見る事ないですよね。

変化に富んだ街。一言で言うとそういう事なのかもしれません。

発展に期待

Posted on 2018/02/08

発表された直後はGoProと比較されたSONYの超小型カメラ。大きさはまさにGoProそのものですが蓋を開けてみたらこれはスチルカメラだったという驚き。企画段階でスチルカメラとして開発しよう!と考えそれを行動に移した人に拍手を送りたいですね。いえ、個人的にスチルカメラだったから嬉しいという感情ではなく、人が考えないような事にまじめに取り組んだ姿勢が素晴らしいなと。

正直なところ、現代はスチルカメラもムービーカメラも境界は無いです。メーカーがどちらに位置づけているかというだけで使う人はどちらにも使う。だとしたら問うべきはポジションではなく存在意義。

ケースに入れずに水中が撮れます!とか、多少の衝撃には負けません!とか、この大きさならスマホと一緒に持ち歩いても苦になりませんとか。特徴としては地味ですがそんなところが案外良いんじゃないかと。ポイントは ”スマホの代わりに” ではなくスマホを持っている前提でもなお持っていきたくなる、そんな存在。今後3rdパーティから色々出てくると面白くなりそうです。

デザインはもう少し何とかならないものかと思いますけど...。

寒さを忘れて眺めた

Posted on 2018/01/31

3年ぶりの皆既月食だそうです。そして今月は1月2日に続いて2度目の満月。ちょっとロマンチックなのです。

月食というのは「月が欠ける」という、考えてみれば普段見慣れた満月から新月への移り変わりが短時間で再現されるというだけの事なのですが、TVニュースなどで「数年ぶりの天体ショーです」なんて言い方をされるとそれだけでワクワクしてしまうのですから不思議です。晴れていたら見てみよう...くらいの気持ちでいた私も気付けばカメラ担いで近所の公園へ。

私が住む西東京市では薄い雲が空全体を包んでいるような感じで ”最高の月食日和” とまではいかなかったものの、肉眼で楽しむには十分な天候と、ここ数日の寒さからすれば随分過ごしやすい気温に恵まれ公園には多くの天体ファンが集まっていました。そこまでの道中でも家の玄関に出て空を眺める親子や恋人達がいてちょっとしたイベントみたいで良かったです。

私が見始めた時は既に食のピークを迎えており普段見慣れないピンク色は月食ならでは。もはやそれだけで満足でしたが、写真に収めるにはピークではダメなんですよね。写真って露出次第で明るさなどいかようにもなってしまうので、暗い月を表現するのは難しい。そのまま撮っても満月にしか見えない。比較対象になるようなものをフレーミングすれば良いですが今回の月食は天頂付近なので街の景色も入れられないですね...。

皆既月食の終了時刻、僅かに明るさを取り戻すタイミングで撮ることにしました。もう少し待って三日月ぐらいの所を収めたほうがそれっぽいかもしれませんが、これ以上明るくなると古いレンズなのでフレアが激しく発生してしまい雨の中で撮ったみたいになってしまうのです。オールドレンズの性ですね。こんな時ばかりは最新設計のレンズが欲しくなります。私のサンタさんはまだ来てくれないのでしょうか...。

皆既月食の始まりから終わりまで約1時間ずっとこんな景色を眺めながら暇に任せて色々な事を考えました。地球から見たら皆既月食だけれど、月から見たら皆既日食なんだろうな?とか。いや金環日食の可能性もあるのかな?とか。宇宙人も地球人と同じように日食中継とかをネット配信してたりして。

雑多な感じが人気の秘訣

Posted on 2018/01/29

ポパイカメラに立ち寄ったのもだいぶ久しぶりです。デジタルのテクノロジードリブン著しいこの時代に、ここは見るからにスローテンポなアナログ感漂う門構え。それは外観だけに留まらず店内に入れば一層雰囲気が増します。

一口に ”アナログ” と言っても、ここは単に古いカメラやフィルムを扱うお店とうだけでなく、今ふうの写真の楽しみ方を取り入れ展開しているところが若い世代にも受け入れられているのかなぁなんて感じます。

女の子たちが見つめる先には20年ほど前に流行したフィルムカメラがズラリ。私が所有するNikon New FM2はすでにメーカーサービスが受けられませんがFM3Aあたりはどうなんでしょうね。ここに並んでいるものがオーバーホール済みなら結構掘り出し物ということになりますね。

しかし当時憧れていたカメラ達は今見てもカッコイイしカワイイ。でも今の若い世代の人達にはむしろ新鮮なカメラなんでしょうね。フィルムカメラ使ったことない人のほうが多くなってきたでしょうから。

   

例えばフィルム1本見ても画質を数字に置き換えるようなところを追及せず、どちらかというとクロスプロセスと相性が良いもののお勧めとかその作例を並べていたり、カメラバッグやストラップは戦場カメラマンを連想するようなものよりもカジュアルファッションにマッチするようなものを揃えていたり。ハリスツイードとポパイカメラのコラボストラップってカメラ女子にはストライクだろうななんて思ったり。

また、写真やカメラと直接関係ないものが並んでいるのも特徴。チープな帆船の模型なんてのはなかなか面白いと思ったのですが、そこだけピンポイントで見たら売れるわけないよね?と考えがちですが、写真好きな人はそういうのをテーブルフォトの小道具として駆使しますからこういう場で入手できるのはありがたいんですよね。逆にそれだけ手に入れようと思ったらどこへ行けば入手できるのか?という感じですから。

カメラ屋さんの枠を超え、デジタル時代にアナログを楽しむその行為そのものを提案するお店。それも一言も発することなく店内を見渡しただけでそれが伝わってくるのですから、一目置かれるショップだけの理由がありますね。

近年女子に人気のマスキングテープ。どちらかというと実用性というよりはそこに描かれた柄を楽しむのが流行だそうで、私のように”塗装に使うソレ” ではなく文房具みたいな位置づけで扱われることが多いです。知人がマスキングテープのデザイン画を描いていたりして以前色々教えてもらった際に「テープの質はカモイ製がイイヨ!」なんて事を聞いていたのでこの日は白の6mmを3本購入しました。いずれ押し花固定用に必要になりますからね。

手段は目的の先に

Posted on 2018/01/23

渋谷でデヴィッド・リンチの版画展を見ました。映画監督としてのデヴィッド・リンチを知る人は多いと思いますが、版画作品をはじめとする芸術家の一面がある事まではあまり知られていないような気がします。かくいう私は映画監督としてもそれほど詳しくないですけど。

映画監督に限ったことではありませんが、何かと芸術志向の強い人というのは形や定義にとらわれず、興味のある事には躊躇なく手を出す特徴があるような気がします。自分の考えや感じたことをどういった手段で形にするか、その時一番適した方法を選ぼうとすればそれなりに引き出しが必要ですし経験あっての選択肢になるのかと思います。映画というのは表現の一手段であって映画を作ることが目的ではない...そう言われているような気がしました。

隣で開催されていた若手作家さんによるグループ展。若さ故の発想で自由な表現に繋がっているという事もありますが、壁1枚隔てた向こうはデヴィッド・リンチの静かな版画作品、こちらははち切れんばかりの勢いある作品の数々。

各々の ”手段” が見て取れるこの展示の仕方もまた面白かったです。

不都合もあるけれど、やっぱり雪が好き

Posted on 2018/01/22

せいぜい5cmくらいのものでしょう...と高を括っておりました。午後には大雪が降るとの天気予報がドンピシャとなった今日の東京。この日記を書いている21時時点で都心は20cmの積雪を観測したとニュース速報が流れています。

帰宅難民となる事だけは避けるべくいつもより早く仕事を切り上げて自宅を目指したものの、皆考える事は同じようで品川駅構内は嘗て見た事もない長い列が続いていました。ホームが人でごった返している為、そこへ降りる階段を中心に丁度ヘビがとぐろを巻くようにグルグルと列は伸び ”長蛇の列” という言葉はこの光景から生まれたんだろうと感心してしまうような状況。

それでも私が利用する山手線はどういうわけか待ち時間ゼロですんなり乗車出来、ペースは遅いながらも高田馬場駅まではなんとか到着。しかし問題はそこからでした。今度は西武新宿線が混んでいるとかでホームには入場規制が掛かっており、私は改札の外で解除されるのをひたすら待つはめに。まあでも30分ほど待ちぼうけにはなりましたがそれでも電車が頑張って走ってくれていたおかげで帰宅する事が出来ました。

帰宅するなりやる事といえば...そう、写真を撮りに行く!。勿論何かしらの交通手段を必要とするような場所は避け自宅周辺の歩いていける距離をカメラ片手にザクザクと。

周囲からは「お前はこんな雪の日にいったい何をやっているんだ」という目で見られましたけど、東京でこんな幻想的な日はそうそうありませんからね。α7RIIにマニュアルレンズをくっつけて傘も差さず吹雪の中をびしょびしょになりながら撮りました。今日残したかったのは綺麗な雪景色よりも、無抵抗な東京の現実。そして ”雪が降った” というだけでいつもの見慣れた景色が全く違う表情に変わった事への自らの驚き。

時間にしたら30分も歩かなかったと思いますが、あまりの猛吹雪のため帰宅した時の自分の姿は雪だるまさながら。バスタオルが必要なくらい濡れましたからカメラ内部に水が浸入していそうで流石に心配。それでも50枚くらいは撮れました!

暗い事の美しさを知る

Posted on 2018/01/18

写真をRAWで撮るのが習慣になっている人の多くは、家に帰ってきてその日撮った写真を見返したりいじったりするのが好きなタイプだと思います。私のように撮影と後処理の2プロセスで一つの作品が出来上がると考える人は、食事に例えたらご飯とみそ汁がセットで和食!と呼ぶような、それくらいどちらも重要な工程と考えると思います。例えがあれですか...。

一眼デジカメを使うような人ならRAWという言葉はなじみ深い響きだと思いますが、一般的にコンパクトデジカメやスマートフォンで撮る写真はJPEGですよね。上記「撮影」と「後処理」の2プロセスで写真が出来上がるとしたら、RAWというのは撮影まで、JPEGというのは後処理までをカメラ内でやってくれる...そんなイメージで考えるとわかりやすく、JPEGの場合は最終的な見栄えを優先した撮り方なので、裏を返せば目に見えず不要な情報は捨ててしまうことでファイルサイズを小さくできています。汎用性は高いですがそれを素材として更なる後処理をしようと思うと捨ててしまった分の情報量が足りない...ということになるわけですね。だから後からいじることを前提とした場合はRAWで残したほうが有利なわけです。

また、日々後処理を繰り返していると撮影のコツみたいなものもおのずと見えてきて、撮影時はわざとオーバー(明るく)で撮っておき後処理で暗くする事でノイズを減らすとか、エンハンサーをかけずに撮っておき後処理でシャープネスをかけたほうがエッジが綺麗に仕上がるとか、その時の見栄えよりも後処理に有利な撮り方をすることも多々あります。星景写真なんて良い例で、仕上がりは夜空に満天の星って感じで綺麗ですが、撮影時は白に近いグレーの空として撮っていますからね。

なので、撮影した直後にモデルさんが小走りでカメラに近づいてきて「どんな感じに撮れてるの?見せて!」って言われても、その時点では後処理に有利な撮り方をした途中経過でしかないので、むしろスマートフォンで撮った写真のほうが綺麗に見えたりして困ることもあります。

一方、そうした ”仕上がり最優先” の撮り方や後処理を繰り返していると、大事なものを見失うこともしばしばあります。綺麗な夕焼けを撮ったらアンバーのグラデーションの階調再現はどうかとか、暗いところは潰れてないか、白いところは飛んでないか、コントラストの高いエッジにジャギーは出ていないか、レンズの色収差は補正する必要があるかとか、言い出せばきりがないというか、逆に後処理でそんなところばかり目が行くようになる...。

仕上がりが点数で評価されるようなものなら、たぶんこの先人間より機械のほうが優れた結果を出せるようになると思います。でも芸術の世界がいつまでもそうならないのは、表現というものは点数を追いかけるような作業ではないからだと考えます。

写真は随分長いことやってきましたが、最近ようやく暗いところの美しさ、暗いところから見た光の美しさがわかってきたような気がします。

光を選ぶ

Posted on 2018/01/15

もう六本木は飽きているんです...というくらい頻繁に歩いています。何かと私好みのイベントが開催されることが多く散策がてらの散歩をセットにするのがルーチンになっているためです。

それでも見慣れた景色にハッとするような瞬間を感じる事もあります。多くは光の当たり方に魅せられるケースで、自分以外の人にどうそれを伝えるか、その手段が写真だと思っています。もし私が文章を書くのが得意なら文字だけでその状況を伝える事が出来るのかもしれませんし、この目で見た景色をメロディに載せられるなら歌でも歌っていたかもしれませんが、少なくとも今現在は文字や歌より写真で伝えるほうがうまくできそうな気がしています。

モノには順序というものがあります。最近ではカメラの性能が飛躍的に向上したのでそれらを手にするとついその恩恵を活かせるようなものを探しに出かけることになります。撮るために出かける!それが出不精を解消するためのきっかけになるならそれも良しです。でも、出かけたから撮ってくる、どちらかというとそれが自然な流れ。

散歩のコースは出来るだけ太陽に背を向けないように歩きます。朝なら東へ向かって、日中なら南へ、夕暮れ時は西を目指して歩きます。それがいつもと違う景色を見るコツであり、そこで見えてきたものが写真に残すとハマったりするものです。大事なのはレンズを向ける事より先に自分の体を光に向けることだと思っています。