いつから?と聞かれて明確な時期は分かりませんが、近年は作られた世界にはあまり興味を示さなくなった気がします。
作られたという表現は少し語弊があるかもしれませんのでもう少し具体的に言うと、テレビならドラマやバラエティよりもニュースやドキュメンタリー、音楽なら自分のプレイリストよりもラジオ、生活環境なら街より自然の中、食べ物なら焼肉のタレより塩、濃い味より薄味、家ならコンクリートより木、車なら高級車やスポーツカーより取り回しが良くどこでも走れる安心感。
それは歳のせいだよと言われれば確かに辻褄が合います。
自分でも不思議と感じているのはテレビを録画しなくなり、今リアルタイムで放送されているものを流しておきたくなった事。そこで放送されているコンテンツが面白いかどうかは別にして、「ああ、この番組が放送されているから水曜日だ!」とか「ニュースが流れ始めたから21時前だ」みたいに、それらが生活のリズムを知らせてくれているような気がするのです。
例えばNetflixとかAmazonプライムビデオみたいなものを見てしまうと、自分の好みとテンポで楽しめる反面、時間や曜日感覚が希薄で ”今日” でなくても良い気がしてしまうのです。ましてそこに高画質高音質を追求してみても明日の自分の生活に活かされるような収穫は少なく、現実の時間と空間を切り離した娯楽の一つであり、自然界の雲の流れを見て「あ、もうすぐ雨が降るな」とか、秋になったから「栗ご飯を炊いてみよう」という感覚へ派生しづらい点がTVニュースやラジオとの大きな違いです。
何が言いたいかと言うと、ネット社会の現代は、自分から求めて取りに行けば多くの情報は手に入り趣味嗜好にマッチしたコンテンツに溢れているが、世の中の動きや自然界の変化、時の流れや温度感に関してはむしろ希薄になり、コテコテに味付けされた調味料に慣れてしまうと素材の味を忘れてしまうことがあるという事です。
自分で取りに行く時代は、自分で感じ考える事を大事にすべき時代でもある、そういうことのように思います。
※ 本日の画像はAdobe Firflyによって生成されています。

