Simply mini J

1日5分、その日の自分を振り返る時間を作りなさい。
    昔そんな話をお坊さんから聞いた。

毎日に特別を感じるという事

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All Photo by inos

今も昔も ”写真を撮る” という行為は特別な事だと思っています。

いえ、シャッターを押すアクションそのものは昔に比べれば遥かに日常で、スマホの存在を加味すればご飯を食べるくらい自然な行為ですが、カメラの種類はさておき ”写真を撮ろう” つまりは ”カメラを向けよう” と思う瞬間にはいつもその先に感情の動きや物事の変化、時間を止めて記録しておこうと考える特別なものがある気がするのです。

綺麗な花を見つけたから撮っておこう、子供の入学式を記念して撮っておこう、始めて訪れた観光地だから思い出として撮っておこう、街で仲の良さそうなカップルがいたから場の雰囲気も含めて撮っておこう、カフェでコーヒーを飲んでいたら窓から良い感じの光が差し込んできたから撮っておこう。

そしてそれこそが写真というアウトプットに自分自身が意味を見出せるか...そこに繋がっている気がします。後になってその写真を振り返って自分自身が ”何を撮りたかったんだっけ?” と思い出せないくらいでは人にシェアなどしたところで共感は得られないでしょうから。

先日のCP+で各社の新製品はまだまだ写真を撮る道具として進化を続けている事を感じましたが、ただそれらの進化を本当に必要としている人がどれくらいいるだろうと想像した時、私はそこに少々疑問を感じました。AIの力を借りなければ撮れない写真ってどんなものだろう? とか、1秒間に100コマ以上も撮影しなければ残せない瞬間ってどんな時だろう? とか、600mm以上の望遠レンズでなければ近づけない被写体って何だろう? とか。

もちろんそれらを仕事として必要としている人がいるのも事実ですからそういう製品が世に登場してくるのは必然です。しかし一方で撮るものは決まっていないが最新モデルを手に入れて、その性能を体感したいがために興味はないが野鳥を撮りに行ってみよう...みたいなのはなんだか勿体無い気がして。

フェラーリを買ったから誰もが必ず300km/h以上で走らなければいけないわけではないですし、軽トラだってその気になれば高速道路を結構早く走れるとか、使い方や使いこなしは様々ですから、カメラだって確かにそれで良いと思います。良いカメラを買ったから街に出る頻度が増えた!というならそれもカメラの価値。

でもせっかく良いカメラを使うなら、そこからのアウトプットを見てみたい...そう思うのです。そのためには目の前の ”特別” を大切にする、まずはそこだなと。

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