Simply mini J

1日5分、その日の自分を振り返る時間を作りなさい。
    昔そんな話をお坊さんから聞いた。

私が写真を撮る理由

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All Photo by inos

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私の事をよく知る友人に「ネパールにでも行ってきたら?」と薦められたのはもう10年ほど前の事。「でも」と言うからにはその彼も実際に行った事は無く、あくまで私とネパールとを想像の中で結びつけたに過ぎず大きな根拠は無かったのだと思います。20日間も同じ映像を見続けて、その間に何日睡眠が取れただろう...仕事とは言えそんな生活をしていた頃ですから、お疲れ顔の私に掛ける言葉といったらそれくらい現実離れしていて丁度良いと思ったのかもしれません。

未だにネパールに行った事はありませんが、昨日上野公園で開催されたネパールフェスティバルに参加してきました。参加と言ってもたまたま通りかかったらそこで大変なお祭り騒ぎが繰り広げられていて、視界に入りきらないくらいのネパールの人々に驚き、せっかくなので私もその群衆の中にお邪魔させていただいたという感じ。集まった人のほとんどがネパールの方のようで、日本人を探すほうが大変なくらい。勿論日本語などありませんし...。

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ネパールの人達は感情が豊かと言いますか気持ちがそのまま表情として表れるようなところがあって、楽しい時は体全体で喜びを表現し、真剣な時はキリリと引き締まった顔。毎日が競争のような日本に暮らしているといつのまにかそういう事に鈍感になりますが、多分感情がそのまま表現できるのは人として当たり前の事。あれ、僕らの過ごしている毎日って少し変かな? そんなふうに感じられたこの日は多分私も少しだけ自然体になれたのだと思います。

不思議な事にこの場にいるだけでカメラのシャッターが次々押せて、気持ちだけはブレッソンさながら。私が本当に撮りたいと思っているものってこういう風景なんですよね。友人に勧められた理由はそんな気持ちも知っての事でしょうか...。

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スマートフォンとコンパクトデジカメの両方で動画撮影をしている人がいました。ネパールの人達にとって写真とかムービーというのはどんな位置づけのメディアなのでしょうね。日本なら、今でこそ写真は日常的なもので学生や若者は文章より写真に残す事の方が多いくらい、機器が進化しすぎて撮るものを探し回るような事もしばしば、それでも出産とか入学式とか運動会とか、特別な日の思い出を残す文化は昔から変わりありません。ネパールの人にとっても写真は同じような位置づけなのでしょうか? そしてそれをどんなふうに鑑賞するのでしょう。今になって思えばその場で聞いてみるべきでしたね。

ステージの上ではさまざまな民族舞踊や伝統楽器の演奏が行われ何だか皆楽しそう。小さな子供達はどこからともなくステージ前に現れリズムに合わせて踊り始めました。とりわけ元気に踊る女の子、よく見れば一人だけ裸足でした。冬物のブーツを履く子もいたり。私にとってこの日この瞬間が一番記憶に残った光景。そしてそれをもっと上手く残す事は出来なかったのかとも。

まるで日本ではないような空間。心から笑っている人を久しぶりに見たような気がしました。いつかは私の方から本国を訪れてみたい、そんな気にもなった1日。

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写真というものの本質は、そこに居ない誰かに自分が見たものを伝えたい...そんなところにあると思います。もし私がミュージシャンならそれを心揺さぶるメロディに載せて、もし私が絵書きさんならそれを芸術的な絵画として、もし小説家なら気の利いた表現を巧みに使いストーリーに綴る事も出来るでしょうが、生憎そのどれも持ち合わせてはおりませんで、だとすれば写真ならかろうじて形に出来そうな...。

今日に限らず、日々の写真をそんなふうに考えて撮ってみると、そこに意味を見出せそうな気がします。

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