Simply mini J

1日5分、その日の自分を振り返る時間を作りなさい。
    昔そんな話をお坊さんから聞いた。

カメラと歩く[2023年現在]

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All Photo by inos

「ヘッドホンをした猿が音楽を聴いているCM」と聞いてピンとくる人は、不便でも幸せな時代を生きた人かもしれない。世にウォークマンが登場し、歩きながらでも好きな音楽が聴けるようになった頃の話だ。

歩きながら音楽を聴くなら今だってスマホにワイヤレスイヤホンで高音質な環境があるじゃないか!と言われそうだが、好きな曲を聴くためにレコードやCDからカセットテープのA面B面にうまく曲を振り分けてダビングする手間までも楽しめたのはその当時ならではのものだ。

私などまともなステレオセットやラジカセすら持っていなかったから、学校帰りに友達の家に立ち寄ってはその作業をさせてもらっていた。そんな記憶も不便な時代だったからこそ残る思い出だ。

いっぽうカメラはどうだろう。ちょうどその当時はマニュアルカメラが徐々に自動化されオートフォーカスでレンズがギュイ!ギュイ!って動くだけでなんだかすごい機械を持っているように感じられたんじゃないかと思う。私はそんな高価なものは持っていなかったから当時を振り返っての想像に過ぎない。

ただウォークマンとカメラの圧倒的な違いは、ウォークマンは娯楽の道具、カメラは表現の道具という点だ。

もちろんカメラを娯楽の道具としてコレクションを趣味とするなら別だが、せっかく物事を記録として残しそれを人に伝えるために使えるのならまずはそう使ってみるのがいい。楽器を買ったら飾っておくより弾いてみた方がいい、自分で発した音に誰かが耳を傾けてくれるかもしれない。

人に物事を言葉で伝えるのだって同じだ。最低限の言葉で正確に伝えられれば最高で、出来ればその言葉は初めから巧みに使い熟せるのが良いに決まっている。目的は言葉を覚える事ではなく相手に物事を伝える事だから。でも現実は楽器にしても言葉にしても初めから上手くは使えないから練習が必要なのは言うまでもない。そう考えると表現の道具というのは進化する事で存在価値を高め ”手段” としての使い勝手が良くなりそうな気がする。カメラはゴールではなく手段。

ウォークマンは音楽を持ち歩く事で人を幸せにした。カメラは持ち歩く事で人に幸せを届ける可能性を高めた。持っているだけでは幸せにはならないのだ。

スマートホンには高性能なカメラがついている。カメラが小さくなる事で誰にでも幸せを残せる可能性が広まったのは今世紀最大の進化だと思う。

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