Simply mini J

1日5分、その日の自分を振り返る時間を作りなさい。
    昔そんな話をお坊さんから聞いた。

見て、感じて、届ける

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All Photo by inos

diary6628

近頃私の撮る写真に力が無い事は自覚しています...。こんなふうに書き始めるとさも以前は立派な写真が撮れたように聞こえますが、作品の上手下手はさておき、フィルム時代に撮っていた頃のプリントを見返すと時々ハッと思う瞬間があります。自分で撮っておきながら「よくこんな瞬間を見ていたな」なんて具合に。

そんなふうに感じるという事は、その頃は持っていて今欠けているモノがあるという事じゃないかと思うんです。

使っているカメラこそ昔とは違いますが共通して言えるのは取っ換え引っ換え違うカメラは使わないという事。「ウソをつけ!お前カメラ色々買っているだろ!」という突っ込みが来そうですが、私がカメラを集中的に購入するのは自分にマッチするモデルに出会うまでの話で、コレ!というモノが見つかれば同じものを使い続けます。それがフィルム時代ならNikon New FM2でしたし、今ならFujifilm X100Sです。このモデルも早いものでもう4年間使い続け、最近背面のボタンが反応しなくなってきてしまい困っているところです。

愛用するレンズは35mmと50mmのみ。ズームレンズは所有しておりませんし、X100Sはレンズ交換式カメラでは無い為標準装備の35mmレンズにテレコンバージョンレンズをくっつけて50mmとして使います。そのため私の撮る写真は極端にデフォルメされた超ワイドのものや、背景がふわっとボケた望遠系のものはありません。時にそういう写真が撮りたいと思う事もありますが、そういう作品は仕上がった瞬間をピークに感動が薄れていく気がして最近はあまり力をいれていません。

カメラの撮影機能も殆ど使いません。絞り優先AEと露出補正だけが譲れない機能でその他は不要なのでその分カメラの値段を下げて欲しいです。

こうして考えてみると最近満足の行く写真が撮れていない理由が分からないのです。道具が悪いわけではありませんし、多くの人の作品を見る機会は昔より格段に増えています。自分に無いテクニックが知りたかったらネットで検索出来る時代ですし、デジタルになって撮影後の補正なんてモラルに反して何でも出来ます。

同じ島に行くにも、舟で1日掛けて移動するのと、飛行機で1時間で到着するのでは ”遠くまで来た” という実感に違いが出るように、そこそこの写真が簡単に撮れてしまう現代だからこそ、アウトプットと満足度の間にギャップがあるのでしょうか。

ただ一つ言えるのは、道具や時代が変わっても自分の足で歩いて出会った感動を一枚の画の中に収めるという行為は今も昔も同じ。いくらデフォルメしようが合成しようが自分の目で見た感動を超える事は恐らく出来ないでしょうから、そこで感じたものをいかに見てくれる人へも届けられるか。

そんな気持ちで眺めた丸の内の西日。ファインダーを覗きながら少しだけ昔に戻ったような気になりました。

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