Simply mini J

1日5分、その日の自分を振り返る時間を作りなさい。
    昔そんな話をお坊さんから聞いた。

それは好きとか嫌いとかじゃなく必要なもの

, …
By
All Photo by inos

団塊の世代にとって車の存在がその後の生活を大きく変えたように、現代においてスマートフォンはパソコンと並んで我々の生活に無くてはならないツールになりました。

パソコンと並んでと書いたのは、現時点でスマホ用アプリの多くはパソコンで作られていますし、スマホからアクセスする大規模なサーバーシステムはワークステーションが主たる動力だからで、スマホはそのサービスの上に成立するクライアント端末であり、決して端末単体が魔法でも手に入れたかのように何でも出来るわけではない点を考慮しての事です。

ただユーザー目線で見れば確かにスマホだけで事足りる場面も多いですし、今更「車は危険でトラブルも考えられますから安全確実な馬車に乗りましょう」と言い出す人がいないように、今後も形は変われどスマホ無し生活というのは考えられないものだと思います。私的にはTu-KaとかIDOとかJ-Phoneとか言っていた時代の携帯電話も好きでしたけどね。むしろあの頃のほうが通信端末を持ち歩いているという高揚感は味わえたようにも思います。

ただこの先スマホの在り方は少し想像しにくいですよね。性能的に更なる進化を辿るのは間違いないにせよ、良くも悪くもコモディティ化の中心デバイスですからその立ち位置みたいなものは曖昧です。

スマホが他と違うのは本来の目的以外の進化を遂げている点。その根源が電話機だとするなら通話やメッセージあたりの ”Tele-Phone” つまり離れた相手とコミュニケーションをとる装置であり、その目的はとうの昔に達成されているわけですが、今ではどちらかというと付加価値と考えられていたゲームだとかWEB閲覧だとかに発展していって、気づけば人とコミュニケーションしている時間より孤独に画面を眺めている時間のほうが長くなっている気がします。

ここではその善し悪しを問うのではなく、我々の生活スタイルがそれだけ変わってきたという点が最も注目すべきポイントかと思います。電話やメールで会話をするよりSNSを利用して多数の人に情報を発信する。孤独なようで実はこれまでより多くの人を相手にしているその行動は、時に有名政治家の答弁よりも注目され、そしてその主役は小学生だって成立します。

ネット上の動きや仕組みというのは可視化しにくいのでぼんやりしていると新型スマホのニュースばかりが目につきますが、実はその仕組みこそが今の社会の縮図であり、我々が考え活用し作り出していく次の社会の入り口のようなものだと考えます。

大きな会社だから安定しているとか、自分の将来は国が守ってくれるとか、日本にいれば安全だとか、そんな昭和な考え方は何一つ現代には通用しないですよね。

一個人でも大企業を相手に対等に話が出来ますし、自分の将来は自分で切り開かなければ保証などありませんし、ネットに繋がっている時点でグローバル社会ですから年金の心配より世界を相手に今を生きる事を考えなければなりません。

恵まれた日本という国に生きる我々は世界を相手に出来る土俵にいる、技が無ければ身に着けるために調べる方法は平等にある。スマホゲームで世界に立ち向かえるならとことん頑張ったらよいと思います。ただ私にそのセンスは無いのでそれ以外の術を日々模索しています。

コメントを残す

*
*
* (公開されません)