Simply mini J

1日5分、その日の自分を振り返る時間を作りなさい。
    昔そんな話をお坊さんから聞いた。

未来は画面の中にあるわけじゃないが

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diary6337

先日、兄夫婦から「ようやくスマートフォンを購入した」と連絡がありました。正直ガラケーのほうが便利だという人もいますし、買ったは良いけれど専らゲーム機の代わり!という人も少なくないようなので、街頭調査を行ったら案外 ”必要に迫られて購入した” という人は少なかったりするのかもしれませんね。どちらかというと時代の流れでしょうか。

タイムリーではありますが、最近YouTube動画で、学校にスマートフォンを持ち込むことに関して語っているコンテンツを見かけ、大変興味深い内容に考えさせられました。

子供のいない私には縁遠い話だったので寝耳に水に近いところもありましたが、聞けばどうやら最近の学校はスマートフォンの持ち込みを禁止し始めているようですね。理由は聞かずともなんとなく想像できますが、その動画では学校のテストにスマートフォンを活用することに関してトークが続いていました。

日本ではNGでも海外ではそれを活用する方向で教える国もある...。昔ならそれがソロバンだったりしたのでしょうが、ソロバンとスマートフォンは何が違うのか?という点に賛否あるようです。いくらカリキュラムでも今からソロバンも無いでしょう...って。

確かに社会に出れば漢字が書けなくても計算が出来なくてもパソコンで仕事をしている限りは殆ど困る事はありません。だとしたら漢字や計算方法を覚える時間をパソコンやスマートフォンの活用法を考える時間に割いた方が有意義なんじゃないか!という考え。確かに一理あると思います。じゃあスマートフォンやパソコンが無い状況ではどうするのか!という意見もあるようですが、実際問題身の回りから無くならないんですよね。大震災の中でもそれらは活用されたわけで。

ただもし学校がそういったものの活用を許してしまうと ”持っていない人” はどうするのか?という発言も出てくる...。それは学校側が貸し出せば良いのではないかと...。なるほどと思いますね。活用するかどうかは本人次第、暗記が得意な人は身一つで挑めばよいし、スマホが得意な人はそれを使えば良い、社会に出たら確かにそういう構図になっていて、むしろ今の時代は後者に偏りつつある。

勿論、子供の頃に学ぶことの意味とか苦労して身に付けることの大切さとか、過去を理解した上で今を考えるとか、モラルも含めた学業の根本は大前提ですが、日本の学校のように頭ごなしにアイテムを取り上げてしまうというのは、その環境の中では成り立つルールだとしても社会に出てからのギャップは開く一方なのかもしれません。その証拠に、ろくに勉強しなかった私でさえ知っている「良い国つくろう鎌倉幕府」ってな語呂合わせ、今はもうこれが不正解なんだそうです。本当は1192年ではなく1185年なんだとか。答えを教えるのが学校ではなく答えの出し方を教えるのが学校だとすれば、なるほど大切なのは語呂合わせではなかったんだと思えてきたり...。

まして積極的に活用する国と禁止する国があれば後にその差は歴然となりそうなものです。スマートフォンに限ったことではありませんが、そういったものの活用法とか危険性とかそれらを教える場も確かに必要かな?そんな事を感じました。

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