Simply mini J

1日5分、その日の自分を振り返る時間を作りなさい。
    昔そんな話をお坊さんから聞いた。

ナシかアリか

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All Photo by inos

diary6457

マグナムの写真家スティーブ・マッカリー氏の写真修正についてネット上では物議を醸しているようです。

ドキュメンタリー写真にPhotoshopは有りか?という、つまりデジタル修正の入った写真はドキュメントと呼べるのか?という論点において世の感じ方は様々なようで、真実を伝える事がドキュメンタリーの役割だから修正は駄目だ!という意見と、作者の気持ちを伝える手段なのだからOKだ!とか、そもそも作品に足を止め見てもらえなければ意味が無いのだから目立ってなんぼ!だとか。

この騒動を予言するかのように世界的通信会社であるロイターは数カ月前にプロフォトグラファーからの納品ファイルにRAW画像からの編集を禁止していたのが面白いところです。実際この問題は難しいところですし正しい答えなど無いと思いますが、だからこそディベートに価値が出るのでしょうね。

私個人の意見はこうです。Photoshopによる加工について賛成か反対かの二択なら賛成。でも限りなく反対に近い賛成です。真実を伝える事がドキュメントとの意見はもっともだと感じますし、写真の役割は言語に近いものがあって相手に伝える手段と考えればなるべく形を変えずにお届けするのがスマートです。

しかし写真の中に見る真実といのは実に曖昧です。JPEG神話みたいなものがプロカメラマンの中には少なからずあって、俗に言う「カメラ撮って出し」(つまり手を加えていない)こそストレートな写真表現みたいに語られる事があります。でも蓋を開けてみればそのJPEGも各カメラメーカーがチューニングした画像処理エンジンでカメラ内現像されているものであり、カメラが変われば色も明るさも変化します。加工がいけないと一口に言うのなら、カメラ設定でモノクロ記録したJPEG画像はOKで、Photoshopでモノクロにしたのものはダメというのはおかしな話になってきます。

カメラの中での加工はOKでパソコンによる加工はNG。そこに変な歪みがあるのは確かです。

限りなく反対に近い賛成というのはこういう事です。今私達が目の当たりにする現実は全て真実なのです。例えそこに人の手が加わり変形したとしてもそれも含めて受け止める目を養わなければならないのです。今回スティーブ・マッカリー氏の作品はその一部にレタッチミスが発見された為騒動になりましたが、それが無ければ加工に気付かずそれを作品として受け止めたはずです。

私を含めフィルムを大事にしていた世代は、撮影からプリントの工程で一つの作品に手を加えるといっても出来る事には限りがありました。だから現代のモラルに反する程のデジタル加工に抵抗を覚えるのだと思います。でもどうでしょう「歩く事に意味がある」と言ってみても「車で移動」しなければ仕事にならない時代になってきているんですね。

Photoshopとは誰が名付けたのか。一人一人が写真屋さんになるってそういう事なのかも知れません。

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