Simply mini J

1日5分、その日の自分を振り返る時間を作りなさい。
    昔そんな話をお坊さんから聞いた。

プロとは呼ぶものではなく呼ばれるもの

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All Photo by inos

4日間足を運んだInter Bee(国際放送機器展)ですが、いよいよ今日で最終日となりました。1年に1回、このタイミングでしか会えない沢山の人達に声をかけて頂き大変有意義な時間を過ごせました。

放送機器展と言うくらいですから展示されるのはプロ用機材なわけですが、一昔前と比べて大きく変わったのは、プロ用とアマチュア用(コンシューマー用)機材の差別化は殆ど無くなったという点です。仮にメーカーが「これはプロ用機材です」とか「あれはコンシューマー用です」と謳ったところで、プロの現場でもコンシューマー用機材は使われていますし、一般の方でもプロ用を上回る性能の機材を使用している場合もあります。昔では考えられなかったこの事態は、デジタル化による急速な技術の進歩で、”機材の価格は性能に比例しなくなった” 事を意味していると考えます。

プロもアマチュアも同じ機材を使える時代。勿論、同じ機材を使っても同じ画や音が録れるわけではありませんが、例えばカメラを考えた時、毎日重たい機材を持ち歩き、世間からマニアと思われるような状況ながら、それでも沢山の画を録り続けているアマチュアカメラマンと、放送局の記者がポンッとカメラを渡されて、とりあえず取材をしてくる状況を想定すると、果たしてどこを見て ”プロ” と判断すればいいでしょうか?

これは結局、道具が使えれば ”プロ” と呼ばれる時代は終わった事を意味します。

日本はブロードキャストの社会構築というかしくみ作りに遅れていて、アメリカなどではもう随分前からSOHOが謳われ、プロはフリーで活躍し技術を買われてこそ仕事になりますから、物事に真剣に取り組みますし何より自分の腕にプライドを持っていて自身の成長も早いのだと思います。その点日本は残念な事に先の理由から、組織に守られる事でプロと呼ばれ、自らの地位こそキープしていますが、ハイアマチュアに劣る作品作りになってしまっている事すらあります。中には「こういう機能が付いていないと使えません!」と宣言する方もいらっしゃるようですが、機能が無くても形に出来るのが職人であって、誰にでもボタン1つで使えるようになってしまったら、今 ”自称プロ” と名乗っている方々の明日が心配になります。この辺りは機材メーカーがユーザーの技術レベルを向上させていくようなモノ作りを心がけるべきだと思います。

国内には世界を代表するような機材メーカーが多くありますが、今年の活躍を振り返ればやはり注目は Canon EOS5D Mk2 で、本来プロ用映像機器という位置付けでは無いにもかかわらず、数百万円するプロ用機材の画質を遥かに上回る画が撮れる事で今回の展示会でも人気でした。勿論、それ用途に特化した製品ではありませんから使い勝手その他はプロ用に劣るわけですが、その点を ”プロの技術” でカバーできるなら最高の映像が手に入る。だからこそ職人が必要でプロと呼ばれる。映像コンテンツ制作を芸術として考えるならこれこそが技術者(作る側も使う側も)の在り方ではないでしょうか。

私もこれまで色々な会社で技術協力という形ながら使う側も作る側も経験してきましたが、何事においても重要なのは今を維持するのではなく、良い部分を伸ばす事だとつくづく感じています。

今回の展示会には専門学校生や大学生も多く訪れて来ましたが、正直彼らの目は輝いていて、機材の性能や使い道までは分からないかもしれませんが、良いモノを作りたいという希望に満ちている気がして、説明をする私の声も多少大きくなっていたように思います。

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