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1日5分、その日の自分を振り返る時間を作りなさい。
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この100年の間の事実

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All Photo by inos

東京都写真美術館で開催されているユージン・スミス写真展へ。

私が3歳の頃にはこの世を去ってしまった写真家さんですから時代の共通点こそ少ないものの、”写真史上もっとも偉大なドキュメンタリー写真家のひとり” と言われるだけありその内容はなかなか見ごたえのあるものでした。

草木のトンネルから光の射す方へ歩く子供を写した ”楽園への歩み” という代表作は写真好きではなくても見たことのある人も多いのではないでしょうか? もちろん今回はそのオリジナルプリントも展示されましたし、入り口に用意された巨大プリントが唯一撮影を許された作品でした。

意外な事にこれだけ有名な写真家さんがその道を目指すきっかけになったのは、彼が17歳の時に日本人の撮った写真作品に影響を受けての事だと言いますから驚きます。現代ならともかくそれだけ古い時代に日本人写真家が世界から注目されていたという事ですから。その日本人の名前は彼自身覚えていないらしいですが。

ユージン・スミスの写真はどちらかというと1枚で何かを伝えるというよりも数枚から数十枚構成でストーリーを作り上げるのが特徴のようです。一般的にフォトエッセイと言ったら写真にその背景を伝えるための言葉を添えて構成するのが一般的ですが、ユージン・スミスの場合は言葉を一切使わずそれを写真だけで見た人に訴えかける!そんな押しの強さがあります。見終わった後に彼の言いたかったことがちゃんと心に残るという感じでしょうかね。

作品が評価されればそれが傑作のように呼ばれたりして1枚の写真が代表作として認知される写真家さんは沢山いると思います。でも彼の場合はそれをたくさんの写真で構成する。撮り手としてちゃんと一つのテーマを持って撮り続けているという事ですよね。運良く撮れた傑作ではないと。

戦争をテーマにしたもの、そして日本の水俣病をテーマにしたものが有名で、ユージン・スミスは日本人に代わって水俣病の恐ろしさを世界に訴えかけた一人のジャーナリストだと言われています。そしてその水俣病の原因となった会社と患者との交渉を撮影中、同社従業員(従業員の姿をした雇われ暴力団員とも言われる)から暴行を受け、脊椎損傷により片目失明の重傷を負い帰国後脳出血で死亡したとされています。

その暴力が死亡原因に直結しているかどうかは定かではないですが、日本人に影響を受け写真家の道を進み、日本の病気を世界に訴え続け、日本人によって生涯を終えることになったとするなら、ユージン・スミスという存在はもっと日本で認知されるべき写真家さんではないか? そんなことを感じましたね。

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