Simply mini J

1日5分、その日の自分を振り返る時間を作りなさい。
    昔そんな話をお坊さんから聞いた。

青ヶ島・八丈島・短期集中観光(9)

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All Photo by inos

4日間というスケジュールも東京都とは言え絶海の孤島を旅するには少し短かったように思います。八丈島に戻ってきたとき、前日まで2日間青ヶ島にいた旨を島の人に話すと「あそこの島で2日間も何するんだよ?」と突っ込まれましたが、私にとってはそれでも足りないくらい吸収するものが多かったです。

人は、満たされているものには気づきにくく、それが足りない状況に陥った時、初めて存在の有難みを知ることになります。

青ヶ島には娯楽施設も無ければショッピングモールも無い。それどころかコンビニも無ければタクシーやバスも無い。今歩いている道を進めば心許ないバリケードの先は崖崩れで道が途絶えているし、島全体が海面から200メートルも高い位置にあるというのにどこにも安全柵はなく、一歩間違えば奈落の底に落ちかねない。

唯一のライフラインである船が50%に満たない就航率で2週間も来ないことがあるというのだから、物資が届かなくなればお金など持っていても明日の生活は救えない。

だから感じるのです、あの島で生きていくという事は自身で手段を考え道を作り一歩ずつ進む。最低限自分の身は自分で守り、誰に教えられるでもなく村民が力を合わせお互いが足りない部分を補い協力することで、一人では成し得ない結果を生み今に繋がっている。そしてその姿は大自然を前には大きくもあり小さくもある。

魚を釣るのだって命がけ、「波が大きいから危ないですよ!」とは誰も言ってくれない。でも人が生きるってそういう事だなと。

その環境から東京へ戻ってきて思うわけです。僕らの日々の生活は誰かが準備してくれた安全柵の中を人の歩き方を真似して進んでいるだけだなと。恵まれた日常の中に「ここは入ってはいけません」とか「これをやってはいけません」みたいな規制があるとしたら、時にわずらわしさを感じたとしてもそれは先人達の失敗や経験が作り上げた一つの安定した道なんだなと。

これまで写真でしか見たことがなかった青ヶ島にこの足で行ってみて、正直やり残した事への悔いもありますし、単純に私好みの自然多き環境という観点からも、もう一度行きたい場所であることは確かですが、遊び半分で入れ代わり立ち代わり観光客が訪れる事への躊躇いも感じずにはいられませんでした。

島民は島民のペースで暮らしている...そこへ我々がお邪魔するという事は限られた資源の中に迎え入れてもらうという事を忘れてはいけないですね。

島民は年々数を減らしているというし、島の中でお金を生む環境がほぼ無いとするなら外から入ってくるのを期待するしかないわけですが、それが行きすぎるとバランスが崩れ単なる観光地のようになってしまう。そうなれば少なくとも島民にとって暮らしやすい環境とは言えなくなってしまうのではないか? そんな事を考えました。

絶海の孤島。究極の大自然に暮らす人間の存在感をこの旅で感じた気がします。

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