Simply mini J

1日5分、その日の自分を振り返る時間を作りなさい。
    昔そんな話をお坊さんから聞いた。

この100年で写真はこう難しくなった

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All Photo by inos

diary5992

その昔カメラは大きくて持ち歩けないもの...という時代がありました。三脚に据え付けて写真家さんは黒い布を被ってシャッターを開けたら数分間動かないでね!みたいな。写すものと言ったら家族写真ばかりで、真実こそが写真の存在意義とばかりに「記録として残す事」に主眼が置かれた時代ですね。ストレートフォトの根源です。

いまデジタルカメラ市場でもてはやされるフルサイズセンサーとは、ちょうど100年前に作られたフィルムカメラが起源。オスカーバルナックによって試作された映画フィルム2コマ分が今でいう所のフルサイズ。これを写真業界ではライカ版と呼び、ライカというカメラメーカーが特別扱いされるのはこうした歴史があるのです。

黒い布を被って数分間動かずに写していた巨大な機械は、この100年でカバンに入れて持ち歩けるカメラに進化。写真の歴史の中でとても大きな革命ですね。さて、ここからが本題。

嘗てはこうしてカメラの小型化が注目されたわけですが、現代はそれとは別路線で ”見る環境も小型化” しています。

こはれ写真を見る環境を特定できなくなったという言い方も出来て、例えばサービス版のプリントなら、それは何処へ持っていってもサービス版なわけで大きさに変化はありません。四つ切といったら世界の何処へ持っていっても四つ切サイズです。現代のデジタル環境は見る人のデバイスによってサイズがまちまち。30インチの液晶ディスプレイで見る人がいれば4インチ程度のスマートフォンで見る人もいる。

畳1畳のプリントにした時に見えてくる画っていうものがあって、撮影する時には仕上りのサイズを意識して撮ったりするのに、見る環境がスマートフォンだったりすればそれはただの小さな画像になってしまうわけで。

写真展を開くとか写真集を出すなら各作品を自分好みの ”不同のサイズ” で表現出来ますが、現時点ではそれ以外に見る人のサイズを固定する方法はありません。これからは小さな画面で見た時と大きな画面で見た時では違う写真に見えるとか、画面のアスペクト比の違いによって同じ写真を見ても意味合いが変わってくるとか、そういう見せ方もテクニックになってくるんでしょうかね。誰でも写真が撮れるようになった現代は、見せ方の工夫が一番難しい気がします。

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