Simply mini J

1日5分、その日の自分を振り返る時間を作りなさい。
    昔そんな話をお坊さんから聞いた。

天王洲キャナルフェス「PHOTO CAMP」(1)

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All Photo by inos

天王洲キャナルフェス。年に4回、品川の寺田倉庫にて開催される本イベントですが、今回はアート写真にフォーカスした「PHOTO CAMP」。

20人を超えるアーティストが参加しており作家自らその場で作品を販売しているPHOTO MARKET。また屋外ではエキシビジョン展示も行われており別会場では若手作家によるグループ展も。11/30〜12/2までの3日間このエリアは芸術の秋に相応しく写真ファンのための祭典となっています。

会場そのものは1F2Fを有効に活用した立体的な造りになっており、個々のブースはそれほど大きくないまでも見ているだけでワクワクするような配置と感じましたし、運営スタッフの方も積極的に誘引していたりして、イベントを成功させようという意気込みが施設に入ったその時から感じられましたね。

今回はテーマが “アートフォト” ですから、ストレートフォトと違って ”写っているもの” の直球勝負だけでなく、写真以外の何かと組み合わせたり展示方法を工夫したり、とにかくアイデアと表現力で勝負している!それこそが一般的な写真展ではなかなか感じることのできないこのイベントならではの醍醐味ですね。

やはりこうしたイベントに出店するくらいの作家さんですから、皆ユーモアに富んでいて表現したいものもはっきりしています。中でも私の印象に強く刻まれたのがこちらの “松原 茉莉さん” の作品でした。

見開きになっている写真集は丁度2冊の本を真ん中で繋ぎ合わせたような構造。左側の写真集は左開き、右側の写真集は右開き。初めはこれを見ても意味がよくわからなかったのですが、説明を聞いて納得。

実はこの2冊からなる写真集は全てのページが左右の関連性を持っており、左ページのオリジナル写真の一部を拡大したものが右ページに掲載されているというわけ。更には撮影場所を緯度経度で示したものが左ページの透かしの中に、2ページに共通する作品タイトルが右ページの透かしの中に。

つまり、この2冊の写真集は常に左右ペアで見てこそ意味をなすものであり、ページ送りも左右対称に...というわけ。簡単なようでこれをゼロから発想するのはなかなかのものだと思いましたね。今は左ページの部分拡大ですが、この見せ方なら、カラーとモノクロとか、ネガとポジとかも面白そうですね。ネガとポジで見せるとしたら撮影段階から明るさと色がひっくり返った仕上がりを想像しながら映えるシーンを探すことになりますから難しそうです。

同じ作家さんですが、こちらもなかなか面白いアイデアでした。少し古い感じの写真に見えるのはこれが全てパラフィンワックスによって封じ込められているから。つまり薄いロウで固められているのです。

あまり詳細を書いてしまうと作家さんのノウハウを公表することになってしまいますのであえて触れませんが、一時期キャンドル作りに熱中した私としては写真とこの組み合わせには親近感を覚えましたね。

でもこの作家さん、展示作品は以上なんです...。他の作家さんは同じスペースに所狭しと作品が並べられているのにこちらのブースは以上4枚と先ほどの写真集。それでもこの日会場で一番印象に残ったのがこちらの作品。

色々お話を聞かせてもらったところ、今はまだ学生の姉妹二人。お姉ちゃんはデジタルメインのグラフィックを勉強中、この作品を作った妹さんはアナログメインでフィルムカメラを愛用。仲の良さそうなとても良いコンビと感じました。

仕事柄普段はプロのクリエイターと一緒に仕事をする事の多い私ですが、時々こうして学生さんの作品を見たり意見を聞いたりすると、少なからず普段感じられないような、または忘れかけていたものを思い出す瞬間があるんですよね。損得勘定以前にやりたいことを恐れず形にするパッションみたいなもの。それさえあれば作品数なんて今後おのずと増えていきますからね。量産よりも面白いと思える事に挑戦していってほしい...そんなことを考えていました。

その他、作家さんの数だけ作品がありました。一般的な写真展と違うのはテーマも手段も作家さん次第だという事。芸術の世界はとかく大きな声で「これが味です」と言ってしまえば何でもアリなところがあります。

作品を見た人が「ちょっとそれはどうなのよ!」と感じたとしても、「いえいえそれが良いんじゃないですか!」と自信満々に言い切れば見ている人もそんな気がしてきてしまう...。

でも作品というのはいずれ作者の手を離れ独り歩きし始めるもの。そうなれば作家本人の声は添えられず作品の価値はその存在を持って見た人が決める事になります。作家さん本人は「夕日」だと言っても、見た人が「朝日」だと思ってそこに価値を感じたならその作品は朝日として歩き始める...。

ものづくりというのは表現の一環であり、表現は相手がいて初めて成立するコミニュケーション。人が言葉を発する代わりに作品を通して何かを伝えるなら、相手が何を思うかを考えながら形を整える必要があります。

そういう観点でこうしたイベントを眺めてみると、多くの作家さんが集まるぶんだけ面白い発見があるように思います。

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