Simply mini J

1日5分、その日の自分を振り返る時間を作りなさい。
    昔そんな話をお坊さんから聞いた。

写真に関するうんちくを少し

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All Photo by inos

普段持ち歩いているかどうかは別として、必要になればコンパクトデジカメをポケットや鞄に忍ばせるという人も今は相当数いるのではないかと思います。

私も一時期はコンパクトデジカメばかりを使っていて、フィルムカメラ時代の ”道具へのこだわり” は何処に行ったのかと自分でも不思議なくらいでしたが、その理由は写真の使い途のほとんどがWEB公開用だったため、高画質よりも素材収集に対する柔軟性を重視していたからです。乱暴な言い方をすれば、持ち歩けないカメラでは意味が無いと。事実、一眼レフカメラとしてはコンパクトなNikon New FM2や小ぶりなレンジファインダー機MINOLTA CLEに比べると、職人的楽しみ方に物足りなさは感じるものの、シャッターを押す頻度はデジタルになって比にならないくらい増えた気がします。

でもそこにはやっぱり画質へのコダワリもプラスされてくるわけで、未だに印刷は殆どしませんが、よりノイズレス&高解像度を目指した大型イメージャー機SIGMA DP1にたどり着いています。発売から数年が経過したDP1にも欠点が無いわけではなく、全てにおいて動作スピードは ”気長に待つ覚悟” が必要ですし、太陽を背景にレイアウトすればたちまち ”サッポロポテト”のようなフレアーが発生しますし、使わなくても数日でバッテリーは空になっていますし、マクロは寄れないし、ズームも出来ない...。それでも新機種に買い換えないのは、なんとなく私の写真スタイルに合っているから。最新のDP1Xにすれば欠点のいくつかは改良されていて、何よりサッポロポテトがほぼ出なくなっているのは私の作画スタイルにドンピシャなのですが、改良されたメニュー構成が初代よりコンピューターライクな感じがして、今でも初号機の原始的操作が好きです。

数日前に新宿ヨドバシカメラで最新コンパクトデジカメのいくつかに触れてみました。もっとも私が購入を検討しているわけではないのですが、デジタルカメラはフィルムカメラと違って、カメラ内部の物理動作の電子化よりも、画像処理の進化が結果に大きく影響するので、知識の一つとして ”いまどき” のトレンド機能を把握しておく目的でした。

EOS 5D MarkⅡで火がついたデジタルカメラによる動画撮影機能は、当然今のコンパクトデジカメでフルHD撮影を実現させるまでにブームとなったわけですが、1/2.5インチ程度の小さなイメージャーを持つコンパクトデジカメとはいえ、もともと小さなイメージャーでスタートしているムービー専用のハンディカムに置き換えて考えれば驚くほどの小ささではありませんから、カメラの操作性やホールド感さえカバー出来ればそれなりの映像が撮れるはずです。むしろデジタルカメラで動画撮影するのが流行しているのはハイエンドコンテンツ制作のプロの現場ですから、各カメラメーカーも今後の製品展開を動画方向に伸ばしていくのは眼に見えています。そしてそれらの技術のコンパクトデジカメへのフィードバックもきっと早いことでしょう。

HDRという言葉も最近では随分一般的になりました。数年前まではPhotoshopにさえ標準では付いていなかった機能なのに、iPhone4に搭載された技術と噂が広まると、各社が一斉に実装したのも印象的です。これはダイナミックレンジの狭い小型イメージャー搭載機にはうってつけの合成機能ですね。明るいところは飛ばさずに、暗いところも潰さないような上手い仕組みです。原理上動きの早い被写体は苦手ですが。

一方で〇〇万画素とか〇〇ピクセルという言葉は流行が過ぎました。これは消費者がその数値の意味を理解し少しづつスキルが上がってきた事もあるでしょうし、決められたイメージャーサイズの中に沢山の画素を詰め込むことで、手に入れる解像度と引換に犠牲になるモノとのバランスが限界に来たことを誰よりもカメラメーカーが知っているからでしょう。実際私が愛用しているSIGMA DP1は1,400万画素と言われていますが、Foveon特有の3板式ですから実質は460万画素です。この画素数で足りないと感じたことはありません。

しかしこうした新しい技術は年々進化していき、パソコン同様、3年もすれば買い替え時を迎えるのがデジタルカメラの世界になりつつあります。この点だけは一生モノとさえ言われるフィルムカメラと大きく異なる部分です。少し心配になるのは、フィルムで撮った写真なら、仮にモノクロで撮られていれば昔を懐かしむように「あーこれは随分古い写真だね」なんて会話も出来るでしょうが、今撮ったデジタル写真を20年、30年後に見た時、その画質差や色合いや解像感から、撮影の年代や時代の背景が上手く連鎖するでしょうか...。写真の存在って、写っているものの内容は勿論、紙質や、発色の仕方や、色あせ方などから感じるものも多いと思っています。それがデジタルになって、メーカーの技術や、プリンターの性能や、カメラの機能によって仕上がりが大きく変わってくれば、いずれそこから時代を読み取るのは難しくなるように思うのです。

ITの世界は活かすも殺すも使う人次第。ただそこにアナログだからこそファジーに扱えた利便性や感覚も上手く投入していければ最高だと最近考えています。

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