Simply mini J

1日5分、その日の自分を振り返る時間を作りなさい。
    昔そんな話をお坊さんから聞いた。

目の前の出来事を今誰に伝えたいのか

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All Photo by inos

先日YouTubeを見ていたらカメラ好きなユーチューバーさんが面白いことを話していたのが気になりました。

その方はカメラや写真について知識や経験が非常に豊富でセミナーや勉強会などで講師を務めるようなタイプの方で、機材に関しても一般人ではおいそれと手が出ないような価格帯のものを沢山所有しているのですが、「何を撮っていいのか分からない」といった趣旨のことを口にしていたのです。正確には「街に何かを撮りに行こうというモチベーションがなかなか湧いてこない...」ということのようでした。

もちろんそれだけの知識や機材を持ち合わせているのですからその方にも得意分野はあって特定の使い方においてはお値段以上の結果を残す実力者なのですが、いわゆる一般の我々のようにカメラを持ってファインダーを覗いて色々なものにレンズを向けて見たい!という使い方において目的を見つけられないというのです。

その動画を見ていて私はなるほどなぁと共感した部分はありました。実は世の中の多くのカメラファン(写真ファンではない)は、より良い機材を手にして喜んでる人って多いと思うんです。それが良いとか悪いとかではなく、写真が好きなのではなくてカメラが好きというのならそこに魅力を感じるのは自然です。カメラのような高価な機材は下手をすれば車が購入できるほどの価格だって珍しくありませんから、道具というよりコレクションとしての存在価値があるのは事実です。

だから家に帰ればそうした機材が沢山あって部屋の中でカシャカシャやって満足する...だからいざその機材を外に持ち出したところで価格相応の写真が撮れるわけではないし使う機会も少ない。でもそれだっていいじゃないですか。どんな時計だって時刻は同じように刻むのに高価な腕時計が欲しくなるのに似ています。それが好きなのだから誰も文句は言わない。

しかし私が知るそのユーチューバーさんは腕も知識も機材もある、そして特定の分野においては講師になれるほどの結果も出している。しかしモチベーションには繋がらない、そして何を撮って良いのか分からないというのです。これはなかなか奥が深いテーマだと思いましたね。

写真を撮るという行為について明確な目的と答えなど言える人の方が少ないと思っています。それでも私がただ一つどうして写真を撮るのか?と聞かれたら恐らく「そこに居ない誰かに同じ景色を見せてあげたいから」と答えるかと思います。

私にとっての写真は言語に近く、言葉の代わりに物事を相手に伝える手段だと思っていますから、いかに上手く撮るかとか綺麗に撮るかとかどんな道具を使うかとかそういうことじゃないんですよね。綺麗な夕日を見たらそれを誰かに見せてあげたいとして、どうやって撮ったら実際に見た感動に近いものを相手に伝えられるだろう...。そのための努力が技術や知識や感性だと思うんですよね。

2,000年前にポンペイに描かれた壁画は技術や知識より先に、何かを残そうとする目的があったはず。写真の存在ってそれに近い気がするのです。

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