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1日5分、その日の自分を振り返る時間を作りなさい。
    昔そんな話をお坊さんから聞いた。

お手本など無かった時代に2人の写真家は何を見たのか

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All Photo by inos

東京都写真美術館で開催されている写真展(木村伊兵衛とアンリ・カルティエ・ブレッソン 東洋と西洋のまなざし )を見てきました。今から60〜70年前にカメラが小さくなって、特別なセットを準備しなくても外で写真が撮れるようになった時代の作品が中心です。

映画用フィルムを応用し、現代のデジタルカメラの基準フォーマットにまで引き継がれてきた35mmフィルムカメラは、この少し前の時代にライカによって生み出されています。そのライカを使って日本とフランスの写真家が共に歩んできた道のりを同じ展示スペースに並べた今回の展示会、”お互いを写し合ったポートレート” によるイントロダクションは、この展示会が開かれる事を予告したような作品でした。

ライカが本格的に世の中に広まり始めた頃の写真からスタートしますから時代は1930年代。最近プリントしたとしても数十年も昔のネガにしては粒子の荒れも少なく、めまぐるしく進化するデジタルと比べるとフィルムは80年前の知識や技術が今でも使えるのですから大した物です。

内容についてあまり詳しく書いてしまうとこれから見に行こうとする方々に申し訳ないので、全体を見ての印象だけ書くとするなら、木村伊兵衛さんの作品は水平が取れていない左下がりの画がかなりの数ありました。実は私自身も無意識にシャッターを押すと左下がりの画が出来上がるのですが、これはスナップ撮影をしていると時々経験する事で、目の前で起きている事件に咄嗟にシャッターを切ると、右手人差し指で強くカメラボディを押し下げるため結果的に左下がりの画が出来上がるのです。そういう写真からはいかに急いでシャッターチャンスを狙ったか...という現場の状況も受け取る事が出来ます。

そして、アンリ・カルティエ・ブレッソンさんの写真はプリント時の覆い焼きが結構使われていて、写真集などで目にする有名な作品も今回展示されているものでは部分的にコントラストが上げられていたり、逆に手前を生かすためにわざと背景を白く飛ばしていたりと、どの作品も作り込まれた印象を受けました。

どちらの写真家の作品も共通の国、例えばパリだったり北京だったりをほぼ同じ時代に写し取っていましたが、同じライカを使っていてもやはり被写体の捕らえ方や表現方法はぜんぜん違っていて、文化の違いからなる感覚とでもいうのでしょうか、それぞれのカタチが同じ空間に融合する事で上手く対比されていたように思います。

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